浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

ガールスカウト活動

光明寺門徒  中司 加代子

 

私がガールスカウトに出会ったのは、娘が小学校1年生の時、1999年でした。2001年から指導者として活動するようになりました。ガールスカウトは、女の子が活動する団体です。私が所属しているのは、久留米市を中心として活動している『ガールスカウト福岡県第5団』です。今は子供達が19人、指導者・保護者が22人の合計41人で活動しています。

近年、コロナ禍でなかなか対面での活動が出来ませんでした。しかしコロナも緩和された今年の夏、福岡県のガールスカウト全体のキャンプをすることが出来ました。北九州から大牟田まで、小学1年生から中学3年生までの子供達65人、指導者・マネージメントの大人35人総勢100人と、大人数のキャンプが4年ぶりに開催出来たのです。『山口県十種ヶ峰青少年自然の家』までバスで4時間の旅です。久しぶりに全体で出かけることもあって、子供達は元気で、おしゃべりが止まらず、あっという間の時間でした。

十種ヶ峰は、標高が高いこともあって8月にしては涼しく感じました。ガールスカウトでは、何人かのグループをパトロールといいます。このキャンプでは、4~5人の子供達を1人の指導者が担当しました。4年ぶりのキャンプでしたので、初対面の子供達や、キャンプが初めての経験の子供も多くいました。

私は、小学校4年生から6年生の5人のパトロールを担当しました。普段は別々の団で活動している子供達とプログラムはもちろん、ご飯も、お風呂も、寝る部屋も2泊3日の生活を常に一緒に過ごしました。それぞれに特徴があり、なかなか大変なこともありましたが、最近の子供事情を知る良い機会となりました。

施設の指導員の方から指導してもらったのは、『アフピー』といって、様々な課題を通じて、課題解決能力、仲間との協調性を育むプログラムで、山口県独自の体験学習法とのことでした。みんなで協力してクリアーするゲームをいくつか体験しました。

2日目は、森の中のチャレンジで、命綱を付けて高いところまで登るアスレチックのプログラムを指導してもらいました。子供達は常にチャレンジ精神があり、怖がることなくどんどん挑戦しました。お互い声を掛け合って励まして、みんながクリアー出来るように助け合っている様子は、見ていて感動しました。子供達の成長を実感した瞬間でした。みんなで協力して助け合う精神は、共同生活の中で身につけていっているのだと思います。家庭では経験できないことをガールスカウトの活動の中で経験して、楽しい思い出を作ってくれることは私達指導者としても嬉しいことです。

この3日間、子供達にとっていろんな思い出があったと思います。山ならではの突然の大雨、バラエティーに富んだ虫達、和式のトイレなど、最近の子供達の日常では経験しないこともありました。しかし、挑戦してクリアー出来たこと、友達が増えたこと、協力して成功できたこと、この経験はこれからの生活に大いに役に立つことだと思います。そして、日常生活も自分で出来ることは進んで出来る様になってくれたらと思います。私達指導者にとっても楽しいキャンプでした。これからもガールスカウトの指導者として子供達を支えていきたいと思います。

合掌

風に立つライオン

 ♯僕は風に向かって立つライオンでありたいー。歌手さだまさしさん(七一)の代表曲の一つに「風に立つライオン」がある。一九七〇年代、ケニアで医療支援に取り組んだ柴田紘一郎医師(八三)がモデルになっている。この歌をモチーフにさださん自身が小説を書き、大沢たかおさん(五五)主演で映画「風に立つライオン」が制作されたこともあり、すっかり有名になった楽曲だが、発表された一九八七年当時は全く注目されなかった。時代はバブル経済の全盛期。「景気の良いときはさだまさしは無視されるんですよ」。さださんはそう笑って振り返るが、実は「風に立つライオン」を聞いて医師を志したり、海外に出て行ったりした医師が大勢いた。
 「その一人であり、風に立つライオンそのもののような人」。さださんからこう紹介された医師と最近親しくなった。北九州市小倉北区に本部を構え、内戦が続くアフリカ北東部スーダンで医療支援に取り組む認定NPO法人「ロシナンテス」理事長の川原尚行さん(五七)だ。九州大で医学を学び、一九九八年から外務省に医務官として勤めた。在スーダン大使館勤務時に貧困や感染症に苦しむ人々と出会い、現地の日本人しか治療できないことに限界を感じて辞職。民間人として現地で医療支援に取り組むことを決意した。二〇〇六年に故郷の北九州市でNPOを立ち上げ、首都ハルツームを拠点に一七年にわたって活動を続けている。
 「さださんから、あの歌を聞いてアフリカに渡ったと聞いていますが」。そう話を向けると、川原さんはばつが悪そうに苦笑いした。「美談なんであえてさださんの前では否定していませんが、実は違うんです。あの歌を知ったのはスーダンに行った後でした」「本当は幼い頃に僧侶から『人の役に立つ仕事をしなさい』と諭されたのが医師を志したきっかけであり、アフリカに行った理由なんですよ」。正直な人だと思った。きっかけが僧侶の言葉だったことに少し驚いたが、スーダンでの医療支援に生涯をかけるとの決意は固く、さださんの言う「風に立つライオンそのもののような人」であることに変わりはない。高校、大学ではラグビー部主将としてならした大柄な体と髭の似合う顔立ちもまた、ライオンを彷彿とさせる。
 スーダンでは今年四月、正規軍と軍事組織の武力衝突が発生。川原さんを含めすべての日本人が海外退避を余儀なくされた。国連は「医療はスタッフと物資が不足し、一部地域ではほとんど機能していない」と指摘しており、劣悪な医療環境はより深刻さを増している。川原さんは当面、隣国エジプトを拠点にしながら内戦の終結を待つ予定だ。
 「みんなの笑顔を取り戻すために、いずれ必ずスーダンに戻りますよ」。川原さんの意欲は決して揺らいではいないが、内戦と貧困、感染症という「風」に向かって立つライオン医師を支える資金は十分とは言えない。微力ながら支援の輪を広げるお手伝いができればと思っている。

合掌

合同お盆法要のご案内

謹啓

 7月も半ばを過ぎました。梅雨も上がり暑い夏が到来しています。皆様お元気でお念仏ご相続のこととご拝察申し上げます。今年もまた、お盆の季節が巡ってまいりました。お盆の仏事は、阿彌陀さまとご先祖さまの、ご恩やご遺徳を偲ばさせていただく大切な時間です。

 「佛説阿彌陀経」というお経の中に、『倶会一処』という世界があります。阿彌陀さまは死んだら必ず、お浄土で倶に会わせると約束して下さっています。その時に、どのように会わせていただくのか。人としての生き方を問うてきたのが浄土真宗です。日頃から「見護って下さっている」「導いて下さっている」「心配して戴いている」、阿彌陀さまやご先祖さまに、お浄土で再び出会えたときに、しっかりと「お礼」を言える人生を歩んでいるかどうか。

 年に一度、私のもとに帰って来ているご先祖さまとともに、お寺のご本堂で、ご先祖さまと一緒にお経を上げて、お香をお供えさせていただきながら、我が人生の「来し方」を振り返らせていただく大事なひととき、ひとときが、お盆の仏事の本当の願いです。

 皆様、万障お繰り合わせのうえ、お参り下さいますようご案内申し上げます。 合掌

 

8月13日(日曜日)午前9時  午後6時  合同お盆法要

8月14日(月曜日)午前9時  合同お盆法要

8月15日(火曜日)午前9時  合同お盆法要

 

1.駐車場はいつも通り、国道3号線沿いの「イオンビッグ諏訪野町店」をご利用いただきますよう宜しくお願い致します。下牟田公園の横を通って、まっすぐお寺に入れます。

 

2.お勤めの際には、ご自宅のお仏壇にお供えしておられる「過去帳」「繰り出し位牌」等を、ご本堂の仏卓にお供えして下さい。納骨堂は、朝7時から夜9時まで開けています。

 

3.毎月1日の午前6時に、お晨朝法座(勤行正信偈 瞑想10分 法話10分 約50分)

毎月第1日曜日の午前9時に、日曜礼拝(勤行正信偈 瞑想10分 法話10分 約50分)

を、実施しています。月に一度、ご法座にお参りくださいますようご案内申し上げます。

 

4.秋のお彼岸法要を、9月23日(土曜日・祝日・お彼岸お中日) 午後1時30分から厳修致します。ご講師は佐賀教区北山組延覺寺住職、藤野真也師です。ご参詣下さい。

 

あれから9か月後の首相襲撃

 四月一七日、衆院選和歌山一区補選の応援演説をしていた岸田文雄首相(六五)が襲撃された。投げつけられた爆発物はすぐに爆破せず、幸い岸田首相は難を逃れたが、最悪であれば多くの聴衆を巻き込んだ大惨事もあり得た事件だった。昨年七月、安倍晋三前首相(六七)が凶弾に倒れてからわずか九カ月。その際にコラムで示唆したことが現実となってしまったことに衝撃を受けている。

 昨年秋のコラムでこう綴った。「社会への復讐としての、半ば自殺的な殺人はこの先も減ることはないだろう。安倍元首相のような要人や政治家が再び犠牲になる可能性もあるだろう。自己責任をうたい、格差を拡大し、社会的な結びつきを破壊する新自由主義の在り方はこのままでいいのか。要人警護の強化を指示するだけでは何も変わらない」

 凶行の動機は違う。安倍元首相を襲った山上徹也被告(四二)は家族を破滅に追い込んだ旧統一教会への復讐が狙いだった。かたや岸田首相を襲った木村隆二容疑者(二四)は黙秘を続けており、その動機は定かではない。ただ、自ら訴訟を起こすほど選挙制度や政治に不満を抱いていたことが明らかになっている。

 「市議になりたいが、年齢制限があり立候補できない。憲法違反ではないのか」。昨年九月、木村容疑者は兵庫県川西市の自宅近くの公民館で開かれた集会で、大串正樹衆院議員(五七)に詰め寄り、二〇分にわたり質問を続けたという。地方議員に立候補できるのは二五歳。木村容疑者は当時二三歳だった。

 この三カ月前、木村容疑者は神戸地裁に裁判を起こしていた。訴状は「参院選(投票日七月一〇日)に立候補しようとした」と始まる。三〇歳以上にならないと立候補できないと定める公職選挙法について「被選挙権年齢には何ら根拠がない」と批判し、国に賠償を求めた。自ら主張をまとめた書面からは木村容疑者の強い不満と執着がうかがえる。「政治家が国民のために存在しないのは制限選挙を続けてきたからだ」と主張したが、昨年一一月、神戸地裁は請求を棄却。木村容疑者は判決を不服として控訴し、五月には大阪高裁の判決が予定されていた。

 控訴審での敗訴を覚悟し、自らがおかしいと思うことを世間に知らしめるには時の首相を狙うのが最も効果的と考えた可能性はあるだろう。裁判と事件を結びつけるにはあまりにも論理に飛躍があるが、常識では動機とは思えないような動機で要人襲撃に突き進む時代なのかもしれない。テロ対策を口実に、今以上の監視社会、警察社会にすべきだとの声が政治家を中心に強まるのは必至だろう。

 だが、旧知の元刑事は言う。「選挙遊説中のテロは防ぎようがないんだ。金属探知機を増やそうが、警護のSPを増やそうが、道路や広場など公の場に集まる不特定多数の有権者を制御できるわけがない」

 備えよりも覚悟が必要な時代なのか。答えはない。

お天気に恵まれた仏縁の旅 ~稲田御坊 西念寺を訪れて~

光明寺門徒 浮池俊憲

 

 この度、“親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要“に、光明寺門徒の一員として夫婦で参加しました。

 京都では大谷本廟、日野誕生院、それから西本願寺と参拝しました。翌日早朝6時のお晨朝、午前10時からのご法要初日の“慶讃法要”に参拝した後、一路東京へ。

 築地本願寺では、朝7時のお晨朝に参拝した後、親鸞聖人が真宗教義を伝え広められたゆかりの地、関東二十四輩へ参拝と観光を兼ねた4泊5日の旅でした。いずれの日も天候にめぐまれ、美しい桜が咲き誇り、優しく揺れる菜の花を眺めながらの春爛漫の旅でもありました。

 それぞれのお寺での参拝は、ご本尊“阿弥陀如来”の前で、そのお姿を拝見しつつ、念珠とこの度の記念式章を着用し、手を合わせてお参りできたことは、とてもこころに残り良かったと思っています。

 ところで、出発前は“参拝のしおり”に宿泊先が、稲田御坊・西念寺と記してあり御坊?どんな所だろうという興味と若干の不安な思いをもっておりました。

 稲田の西念寺の御本堂は天井が高く、大屋根が二層式になっており、大きなケヤキ柱作りの立派なご本堂でした。到着後、この本堂で光明寺ご住職(傍示裕昭氏)が「重誓偈」を、翌日のお晨朝は「正信偈」と「ご法話」をなされました。西本願寺でお念仏する際にも感じたことですが、南無阿弥陀仏とお念仏を唱和する美しい皆さんの声が一丸となって静寂な本堂に響き聞こえたときは、誠に妙なるものでした。

 また、西念寺御坊には、テレビも無く、自動販売機も置かれてなく、近くにコンビニもありません。手軽に情報が入手できる今日において、いつでも・どこでも・だれでもが頼りとするものから暫し離れて、ゆったりとしたしかも静寂の雰囲気のなかで昔のことを思いだしていました。

 約44年前、当時27才の私は異文化をもつ国で、約1年間生活した経験があります。日本で当然あるようなテレビもなく電話もない国でした。1年間の生活は、停電が多くロウソクの下で本を読み、寒い時期には1週間に1回ぐらいのシャワーなど、日本では考えられない不便なことばかりでした。当時、現地の人々に接して思ったことは物質的に恵まれすぎている日本人がある意味で大変貧しいように感じました。人にはゆったりとした気持ちをもつ時間が必要だと、思ったことでした。因みに、その国の言葉に“ビスターレ(ゆっくり、あわてず)”があり、とても気に入った言葉です。

 そして、稲田の西念寺の裏門の椿の下を潜り抜け、次の目的地に向かいました。この写真はその時の光明寺ご住職を妻が撮ったものです。お勤めを終えられたご住職は清々しい、とても良いお顔をされています。

 まずは、今回の旅で経験したことを踏まえて、以前に少しばかり積ん読していた“歎異抄”を、今回はゆっくり読み返してみたいと思います。

最後に、今回の親鸞聖人巡礼参拝の旅路にご案内、引率を頂きました傍示ご住職、蒲池ご住職に深謝するとともに、いろいろな面でお世話頂きました西鉄旅行添乗員の大家様に感謝致します。                             合掌

 

慶讃法要参拝の御礼状

謹啓

 『ああ 弘(ぐ)誓(ぜい)の強(ごう)縁(えん) 多生にも値(もうあ)ひがたく 真実の浄信 億劫にも

獲がたし たまたま行信を獲ば 遠く宿縁を慶べ』(御本典総序の御文)

 

 このたび 尊いご勝縁を賜り 柳川組四十三名のご門徒の皆様とともに 御本山西本願寺での『宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年 立教開宗八百年慶讃法要』に ご一緒に参拝出来ましたことは 私にとりましても無上の慶びであり 生涯忘れることの出来ない貴重なご法縁になりました

 ちょうど二年前から準備を進めてまいりました 途中 御本山の慶讃法要参拝センターや築地本願寺とは 何度も電話やファックスでやり取りをし メールでの確認等も行ってまいりました 関東二十四輩ご旧跡のご寺院様 交通機関や宿泊等々の手配や確認は 西鉄旅行社様にお願いを致しました

 おかげさまで 無事につつがなくお参りをすることができました お天気にも恵まれ お参りするさきざきで 桜が満開の中 親鸞さまが光顔巍巍の笑顔で 「ようぅ遠い九州の地からお越しくださった」と 八百年の時空を超えて お出迎えをいただいているようでした

 また 不思議な宿縁を賜り 親鸞さまが浄土真宗の根本聖典である 「顯淨土眞實教行證文類」をご編纂なされた「草庵」である 稲田の西念寺様で お晨朝のお勤め(正信念仏偈六首引)の調声をさせていただき ご法話までさせていただいた事は 本当に望外の慶びでした 我ひとり感涙にむせびながらお正信偈を唱えておりました ありがたく尊いご法縁をいただいたと 今でも心から感銘いたしております

 日頃から 自分本位にしか生きられず 無明煩悩の闇に沈む私たちが 阿彌陀如来様の智慧と慈悲に照らされて 本願念仏のみ教え、「南無阿彌陀佛」に出遇い 佛法を拠りどころとして生きて往く道を歩むことが出来ますことは ひとえに 親鸞聖人さまが御誕生になり 浄土真実のみ教えを明らかにされたことによるものであります

 お念佛「南無阿彌陀佛」に生かされる人生は 「いつ死んでも大丈夫 いつまで生きても大丈夫」と 我が人生を 阿彌陀さまに見守っていただき 導いていただき 支えていただきながらのお浄土までの人生行路(往相)です

 また 「往生成仏の暁」には お淨土から還相して「いそぎ淨土のさとりをひらきなば

 六道 四生のあひだ いづれの業苦にしづめりとも 神通方便をもつて まず有縁を度すべきなりと云々(『歎異抄』第五条)と示されるように 仏となって「衆生済度」が自由自在にできるのです お『正信偈』に「往還廻向由他力」とお示しされ 往還の廻向は他力によると記されているとおりです

 今回の慶讃法要にご参拝をいただいたことを一つの機縁として 今後ますます み教えに生かされ いよいよお念佛を慶び より一層 聞法求道に精進されますことを衷心より念じ上げて このたびの御本山慶讃法要ご参拝の 御禮のご挨拶とさせていただきます

 また 来春の御本山参拝で再び お遇いいたしましょう          合掌

 

令和五年四月五日

浄土真宗本願寺派 福岡教区柳川組 組長 光明寺住職

新薬開発と少子高齢化

シミックホールディングス株式会社

元シミック株式会社代表取締役社長

光明寺門徒 藤枝 徹

 

 「薬」は、人類が発明した最もすばらしいものの一つであることに異論はないでしょう。特にここ数十年の近代社会においては、数々の新しい薬が誕生し、それらは、病の苦しみから人々を救い、大幅な寿命の延長をもたらしました。

 新しい薬を開発する、それは気の遠くなるような長くて厳しい作業です。製薬企業の研究所、大学や医療機関の研究室、あるいはベンチャー企業などで発明発見された物質のうち、幾多の試験管レベルの試験や動物試験を経て、ターゲットとなる病気への効果が期待でき、また、ヒトに使えるだけの十分な安全性が確認されたものだけが選択されます。その後、実際にヒトに投薬し、有効性や安全性を確認する臨床試験(治験)が行われます。そこで十分な結果が得られた場合に、得られたデータを纏め、国の審査を受け、新しい医薬品として承認を受け、ようやく発売へと至ります。最近では、研究所で発明発見された物質が、医薬品として承認を受ける確率は約30,000分の1、研究開始から承認を受けるまでの期間は10年~15年、一つの医薬品を創出するための開発費用は1,000億円以上ともいわれています。

 1980年代から2000年頃にかけて、日本は医薬品大国でした。多くの新薬が開発され、国民皆保険制度のもと、特段の不自由なく使われてきました(それを薬漬けと言う人もいるかもしれませんが)。日本は世界第二位の医薬品市場となり、製薬産業は発展し、国の基幹産業の一つとして位置づけられるようになりました。日本の製薬企業が開発した数々の新薬は、世界の人々のもとにも届けられました。

 しかし、時を経て、状況が少しずつ変わってきました。実は、現在、世界で開発されている新薬のうちの半分以上は、日本では開発されていなかったり、開発が大きく遅れたりしているという事実があります。これはドラッグロスとかドラッグラグと呼ばれています。なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。この原因を探っていくと、日本の少子高齢化に行き着きます。

 少子高齢化が進むと、社会保障制度の維持が難しくなります。医療費の増加抑制は必至であり、その中でも薬剤費が削減対象にされる傾向があります。日本の薬の価格(薬価)は国が決めていますが、同じ新薬でも日本の薬価は諸外国よりも低めに設定されるのが一般的となっています。さらに、この薬価、ほとんどの薬で、毎年下げられています。薬価が下がるからといっても、それに応じて、生産・流通コストや人件費が下がるわけではないので、製薬企業の儲け(利益)はどんどん減っていくことになります。古くからの薬では、売れば売るだけ赤字というものもあります。

 また、先に述べたように、新薬は国の承認を受けなければ発売できません。日本で承認を受けるには、一般的に、ある程度の日本人での治験のデータが求められるため、日本で治験を実施する必要があります。治験は、GCPと呼ばれる万国共通の厳格な規則のもとで行われますが、日本人の几帳面さからか、日本では手間がかかりがちで、外国と比べて治験のコストが高いといわれています。

 日本の製薬企業も、海外の製薬企業も、高いコストを払って日本で新薬を開発し、承認を得ても、低い薬価しかつかないし、ついた薬価も年々下げられてしまう。そんな日本にビジネスとしての魅力は少なく、日本での開発や上市が後回しとなるのは自然な話ともいえます。すなわち、少子高齢化が進む中、社会保障制度維持のために薬価を低く抑えた結果、多くの新薬が日本では開発されないという事態に陥ってしまっています。

 岸田首相は、異次元の少子化対策を行うと言っています。健全な社会保障制度がある社会は、最新の薬へのアクセスも良くなるということでもあります。この視点に立つと、少子化対策は健康長寿社会の実現にも繋がるということになります。実効性のある異次元の政策を期待したいところです。

老化と不摂生と帯状疱疹

 昨年初冬、左目の上にいくつかの吹き出物ができた。赤みを帯びているが痛みはない。はじめはそれほど気にしていなかったが、市販の薬を塗っても治る気配がない。一週間ほどたって通りすがりの皮膚科クリニックへ出向くと、予想もしなかった病名を告げられた。

 診断結果は「帯状疱疹(ほうしん)」。医師の説明によれば、水ぼうそうにかかったことがある人は治った後もウイルスが脊髄近くの神経に潜伏し、中年以降、過労やストレス、加齢などで免疫力が低下すると再び活性化して発症するものだという。かつて背中から腹部にかけて帯のような疱疹ができ、激痛に苦しんだという友人の話を思い出したが、あまりにも症状が違う。医師に聞くと答えは明快だった。「人によって症状はさまざま。軽く済んで幸いでしたが、帯状疱疹を甘く見てはいけませんよ」。飲み薬を処方され、ほどなくしてできものは消えたが、あざは今もしっかりと残っている。

 ほぼ一カ月後の年末、今度は首から左肩にかけて激しい痛みが出た。持病の頚椎症の痛みに似ている。四〇歳代後半ころから、だましだまし付き合ってきた痛みだ。学生時代、アメリカンフットボールをしていたときに痛めた首の後遺症でもある。「また再発か」と諦め、かかりつけの整形外科へ向かった。

 この一五年近く、このベテラン医師に救われてきた。注射や首のけん引などの治療で、まるで魔法のように痛みが消えるのだ。今回もすがるような思いで治療を続けたが、これまでとは明らかに違う。三日たっても四日たっても痛みはひかず、眠れない夜が続いた。

 すると医師は全く想像していなかったことを言った。「帯状疱疹かも」。皮膚に疱疹は出ていない。「まさか」と思ったが、医師によると「多分間違いない」。同じような症状の患者を多く診てきた名医の助言に従い、血液検査の結果が出るのを待たずに帯状疱疹の薬を飲み始めた。数日後、医師の見立て通り血液検査で「正常値の三二倍の帯状疱疹ヘルペス検出」という結果が出たころには、首や左肩の痛みはすっかり緩和されていた。

 日ごろの不摂生な生活に思いをはせる一方で、体の中で老化が確実に進んでいことを実感した。「帯状疱疹を甘く見てはいけませんよ」という忠告を受けていたにもかかわらず、再び発症したのは自らの甘さにほかならない。

 帯状疱疹ヘルペスによって神経細胞が傷ついた後遺症で、左手の小指がしびれる神経痛は今も続いているが、不思議と再発への恐れはない。「いざとなればまた、かかりつけの名医が救ってくれる」。そんな医師への信頼が安心感につながっている。有難い。

利他の心 慈愛の心 感謝の心

ニューヨーク平和財団代表

元ニューヨーク仏教会開教使

中垣顕實

 

前回の続きです。実は、ここ十年間ほど聖徳太子とのご縁が深くなってきた感じがありまして、バラバラな日本の仏教が一つになるには、聖徳太子に戻るのがよいと思っています。日本仏教の開祖であり、さまざまな宗派の壁を超えて「和を以て貴しとし<平和>、さから(忤)うことなきを宗とする<非暴力>」(『十七条憲法』第一条)仏教の特徴である平和主義、非暴力のメッセージでお互いに協力し合うことも可能ではないしょうか。

 

また同憲法第2条の篤く三宝を敬うということは、同じ仏教徒が宗派を超えて一つになれる部分でありますし、同時に三宝とは真理に目覚めた仏、真理の説かれた法、その真理を実践する僧を大切にすることですので、真理をその中心に万人が一つになれる道かと思います。=

 

一緒に協力して何かをすることを拒むのは自分の宗派が大きくて、力を持っているため、他の宗派と協力する必要がないと感じるからだとも思われます。米国の日系人社会の歴史を見ていても、初期の移民の人たちは非常に貧しかったのですが、皆が協力して、米国の地でお寺を建てました。米国西海岸の日系人が住む地域に建てられ、それらのお寺が今でも米国仏教団の主力のお寺になっています。その当時は仏教徒が集まれる場所ということで、西本願寺派の僧侶が日本から派遣されましたが、一宗派ではなく、仏教という枠組みで始められ、「仏教会」という呼び方をしていました。近年は日系人も皆、社会で成功し、自立してやっていけるようになっていますが、新しくできたお寺はほとんどありません。皆で協力すれば何でもないことのはずですが、そこまでしなくてもいいことになるのでしょう。必要性の問題なのかもしれません。

 

概して、貧しい時は協力し合うが、裕福になってくるとあまり協力しなくなるのはよくある話です。小さなオーガニゼーションは他のオーガニゼーションと協力し合うこともよくありますが、大きなオーガニゼションになるとその中での協力はあっても、他のオーガニゼーションとはあまり協力しなくなります。国連での核兵器のNPT再検討会議のことにしても、力のある肝心の核兵器所有国は核廃絶の声に耳を傾けない状況にありますが、大国ほど自分勝手な行動をとっているようです。

 

仏教では傲慢心ということになるのでしょうが、それに気がつけば、もっと人の言うことに耳を傾けよう、自分のやっていることも反省しよう、困っている人の手助けをしよう、という利他の心、慈愛の心に転換され、大きな変化が起こるのだと思います。「一切衆生」を救おうという教えは、様々な人たちと協力し合うという道を開き、武器を捨てる平和な道を開いていくことになるのでしょう。

 

日本仏教全体で協力しあって、利他の心、感謝の心、苦しんでいる人に寄り添える心を育んでいくことが今の社会に必要であり、お寺自身もそれを実践していくならば、それこそが日本仏教の原点であり、仏教的平和の原点ではないかと思います。聖徳太子の存在は理想を現実化できることを意味します。

 

親鸞聖人が聖徳太子を尊敬されていたことは、晩年聖徳太子に関する二百首もの和讃を見れば明らかです(『皇太子聖徳奉讃』、『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』、『正像末法和讃』)。私は2018年に「N Y平和ファウンデーション」をNYで立ち上げましたが、その精神は聖徳太子『十七条憲法』に基づいています。

 

聖徳太子から始めよう! 南無三宝。

日本仏教へエールを送る!

中垣顕実法師

 私自身はもうそろそろ40年近くアメリカに住んでいるので、日本のことをどうこう言いえる立場ではありませんが、外にいるから見える部分もあるので、そのあたりを私の視点で述べさせて頂きます。私は仏教のもつ価値観、思考が今後の世界の行方の大きな鍵を握っていると考えております。国連が掲げるSDGの内容を見ても仏教がその答えをなっている場合が多いのではないでしょうか。

 先月8月はNYの国連本部で核兵器のNPT再検討会議が開かれましたが、核兵器に関しては唯一の戦争被爆国の日本が本来もっとリーダーシップを取ることができる分野であり、アメリカやロシアに対しても積極的に対話を進めるような外交がなされてもよいはずです。現在のロシア・ウクライナ戦争、中国・台湾情勢などに関してもそうですが、ただ欧米の顔色を伺うだけではなく、しっかりとした仏教のような平和思想に基づき、行動することが大切だと思います。仏教的慈悲の世界が、武器を捨ててこそ真の友好関係が結ばれる道を開いてくれるのではないのでしょうか。

 西洋の社会の中に住んでいると、東洋や仏教との違い肌で感じられます。イエスとノーでしかものを考えない、いつも右と左が対立しあい、平行線で決して交われない考えは、一層の対立を生み、敵・味方をつくり、互いに避難し合うような社会を作り出しているように思われます。西洋にはない中道の考え、怨親平等の世界、縁起の法則、怒りや我欲の煩悩から離れる等の仏教の基本的考え方が、この世を破滅ではなく、調和のある、互いに尊重し、平和な世界に導くことができると思うのです。

 宗派の利益を考えねばならないのもわかりますが、もっと広い意味で様々な仏教の宗派が互いに協力する必要があると思うのです。平和も一宗派や一宗教のみでは築けないように、様々な宗派、宗教が協力しなければ成し遂げることは難しいものです。NYではインターフェイス(超宗教)が最近は普通になっていますが、宗教や宗派が率先して違いを超えて協力し、人々の手本となるように行っている面もあります。仏弟子の一人一人がナンバー1であるように(智慧第一の舎利弗、神通第一の目連など)、一つ一つの宗派はそれぞれナンバー1ということでお互いに協力しあい、学びあうような一面があって良いと思います。それによって足を引っ張りあうのではなく、互いに切磋琢磨し、より真理に近づけるようにしていく道があると思います。

 最後に、オーム真理教のサリン事件の時も気になり、今回の安倍首相銃撃事件で浮上した統一教会のことでも気になったのですが、臭いものには蓋をしろ、触らぬものに祟りなしという感じで、なぜか宗教者もあまりニュースなどでは見かけません。こういう事件が起こるたびに仏教、宗教というものは恐ろしいものであると言うイメージを植えつけるばかりで、仏教とは本来どういうものなのか、仏教や宗教のもっている様々な側面をもっと人々が理解するような発信を宗教者自身が行なっていくべきではないかと思います。こんな時こそ、仏教の専門家とかリーダーが「宗教についてもっと日本人が知る必要がある」ことをしっかり発信し、一般の人々への仏教イメージを変える時期だと思います。グローバル社会なのですから、さまざまな宗教も学び、違った価値観が存在することを知っておくことは世界に出る上でとても大事だと思います。

頑張りましょう!南無三宝。