浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

ジャーナリストの眼力

風に立つライオン

 ♯僕は風に向かって立つライオンでありたいー。歌手さだまさしさん(七一)の代表曲の一つに「風に立つライオン」がある。一九七〇年代、ケニアで医療支援に取り組んだ柴田紘一郎医師(八三)がモデルになっている。この歌をモチーフにさださん自身が小説を書き、大沢たかおさん(五五)主演で映画「風に立つライオン」が制作されたこともあり、すっかり有名になった楽曲だが、発表された一九八七年当時は全く注目されなかった。時代はバブル経済の全盛期。「景気の良いときはさだまさしは無視されるんですよ」。さださんはそう笑って振り返るが、実は「風に立つライオン」を聞いて医師を志したり、海外に出て行ったりした医師が大勢いた。
 「その一人であり、風に立つライオンそのもののような人」。さださんからこう紹介された医師と最近親しくなった。北九州市小倉北区に本部を構え、内戦が続くアフリカ北東部スーダンで医療支援に取り組む認定NPO法人「ロシナンテス」理事長の川原尚行さん(五七)だ。九州大で医学を学び、一九九八年から外務省に医務官として勤めた。在スーダン大使館勤務時に貧困や感染症に苦しむ人々と出会い、現地の日本人しか治療できないことに限界を感じて辞職。民間人として現地で医療支援に取り組むことを決意した。二〇〇六年に故郷の北九州市でNPOを立ち上げ、首都ハルツームを拠点に一七年にわたって活動を続けている。
 「さださんから、あの歌を聞いてアフリカに渡ったと聞いていますが」。そう話を向けると、川原さんはばつが悪そうに苦笑いした。「美談なんであえてさださんの前では否定していませんが、実は違うんです。あの歌を知ったのはスーダンに行った後でした」「本当は幼い頃に僧侶から『人の役に立つ仕事をしなさい』と諭されたのが医師を志したきっかけであり、アフリカに行った理由なんですよ」。正直な人だと思った。きっかけが僧侶の言葉だったことに少し驚いたが、スーダンでの医療支援に生涯をかけるとの決意は固く、さださんの言う「風に立つライオンそのもののような人」であることに変わりはない。高校、大学ではラグビー部主将としてならした大柄な体と髭の似合う顔立ちもまた、ライオンを彷彿とさせる。
 スーダンでは今年四月、正規軍と軍事組織の武力衝突が発生。川原さんを含めすべての日本人が海外退避を余儀なくされた。国連は「医療はスタッフと物資が不足し、一部地域ではほとんど機能していない」と指摘しており、劣悪な医療環境はより深刻さを増している。川原さんは当面、隣国エジプトを拠点にしながら内戦の終結を待つ予定だ。
 「みんなの笑顔を取り戻すために、いずれ必ずスーダンに戻りますよ」。川原さんの意欲は決して揺らいではいないが、内戦と貧困、感染症という「風」に向かって立つライオン医師を支える資金は十分とは言えない。微力ながら支援の輪を広げるお手伝いができればと思っている。

合掌