浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

ある中国人歌手の死

 中国・上海出身で、日本を拠点に両国を行き来しながら活動していた歌手のamin(アミン)さんが七月二九日、四八歳の若さで亡くなった。死因はがん。突然の訃報に驚き、早過ぎる死を悼みながら彼女との交流を振り返っている。

 知り合ったのは二〇一〇年春。彼女は故郷で開かれる上海万博の応援ソング「海を越えるバトン」を歌っていた。万博で行われる日中友好コンサートに同行する前にインタビューした。その澄んだ歌声と誠実な人柄に惚れ、一気に親しくなった。気負うことなく「歌で日中の懸け橋になりたい」と語る笑顔が素敵だった。

 アミンさんの本名は巫慧敏(ウー・ホイミン)。お父さんは作曲家、お姉さんは二胡奏者のウェイウェイ・ウーさんという音楽一家に育ち、一三歳でアイドル歌手としてデビュー。透明感あふれる歌声で「天才少女歌手」と呼ばれた。アミンは中国語で「ミンちゃん」の意味。幼いころからの愛称を芸名にした。

 一九歳のとき、親しみを感じていた日本の言葉と文化を学ぶため来日。「アイドルではなく、歌手としてもっと活動の場を広げたい」。そんな思いが日本を拠点にする決断につながったという。

 〇三年、サントリーウーロン茶のCMソング「大きな河と小さな恋」が二〇万枚を超すヒットとなり、日本でも注目された。〇五年の愛知万博では松任谷由実さんらとユニットを組んでテーマソングを歌った。このユニットはNHK紅白歌合戦に選ばれ、彼女は中国本土出身として初の出場歌手となった。

 その後もNHKの中国語講座に出演したり、上海のテレビに出演して日本の唱歌を日本語で歌ったりしながら双方の文化を発信。福岡市在住の中国人男性と結婚し、活動拠点を福岡に移してから一層親しくなり、食事をともにしたり、博多で単独ライブを企画したりする関係だった。そんな交流の中で特に印象に残っているのは「歌で日中の懸け橋になる」という決意を固めたきっかけだった。

 「生まれ育った中国と大好きな日本をつなぐ懸け橋になりたいとずっと思ってきましたが、決定的になったのは〇五年春、中国全土で巻き起こった反日デモです。信じられなかった。でも現実として受け入れなければならない。私にできることは歌うこと。歌でメッセージを伝え、喜びや悲しみをハーモニーで包み込み、心の距離を近づける役割を担えたら、お互いに共感できるはずだと思ったんです」

 三年前に離婚し、再び拠点を東京に移してからは音信が途切れ、闘病生活のことは全く知らなった。共通の友人によると、離婚後、卵巣がんが発覚。手術後いったんは快方に向かったが、がんの転移が見つかり、最期は上海から呼び寄せた両親と姉に見守られて息を引き取ったという。

 元気だったころの笑顔を思い出せば、日本語で包み込むように歌う「故郷」が聞こえる。日本の唱歌の世界を深く理解し、表現した中国人歌手だった。

                                      (TVQ九州放送・傍示文昭)

さだまさし特番(下)

 シンガー・ソングライターさだまさしさんは、六九歳になった今も精力的に歌い続けている。その源流を探るドキュメンタリー番組「さだまさし『原点』への旅」(六月五日、テレビ東京系列六局ネットで放送)を制作した。番宣で使ったサブタイトルは「失われたいのちを歌え―歌手さだまさし・魂の現在地」。番組の軸に据えたテーマは「命」であり、さださんの創作曲の中心に「挽歌」があることを指摘した。

 挽歌とは「葬送のとき、ひつぎを載せた車をひく人たちがうたう歌。また、人の死を悼んで作る詩歌」(大辞泉)を指す。「哀悼歌」「鎮魂歌」とも言う。一九八〇年、映画「二百三高地」の主題歌として発表した「防人の詩」でいわれなき中傷にさらされたさださんを救ったのは、文学界の重鎮、山本健吉さん(一九〇七~八八)の言葉だった。

 「君はいなくなった人を歌うことに長けている。これは挽歌といって日本の詩歌の伝統であって神髄だ。何を言われてもやり続けなさい」。若き日、さださんの出世作となった「精霊流し」もまさに、二〇歳の若さで急逝した従兄への挽歌だった。

番組では、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師に捧げた挽歌「ひと粒の麦」が生まれた背景にも山本さんの言葉があったことを伝えた。

 「実際お目にかかったこともない中村哲先生を歌うのは最初せんえつだなって思ったんですが、山本健吉の言葉を思い出しましてね。叱られるかもしれないけど勝手に僕は残しておこうと、自分の中に中村哲を刻もうと思ったんです」。ペシャワール会の幹部や中村さんの遺族はこの歌に感銘を受け、一周忌に合わせて母校の九州大学で開いた「偲ぶ会」にさださんを招待した。

 「ああやっぱり歌って良かったなと山本健吉に感謝しましたね。これからも自分が感銘したこと、感動したこと、特に命に関わるものはやっぱり訴えていこうと今も思っています」

 番組の後半は、さださんが今もっとも注目しているという俳人で、山本さんの最初の妻、石橋秀野さん(一九一九~四七)に焦点を当てた。辞世の句は「蝉時雨 子は担送車に 追ひつけず」。結核で亡くなる二カ月前、ストレッチャーで運ばれる秀野さんが泣きながら追いかける五歳の娘を見た直後に詠んだ句だという。「もの作りにかける執念は忘れたくないなと秀野に教わりますね」。さださんは命を賭して生み出された俳句の凄みを番組でも語り続けた。

 命を歌う大切さを教えてくれた山本健吉さんと、命を削りながら俳人としての高みに達した石橋秀野さん。二人が与えてくれた「原点」は今後、さださんの作品にどんな風に生きてくるのか。さださんが歌い続ける限り、その生きざまを今後も追いかけたいと思っている。

                                      (TVQ九州放送・傍示文昭)

 

親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要

宗祖親鸞聖人御誕生850年 立教開宗800年慶讃法要

団体参拝旅行のご案内

 

令和5年は、宗祖親鸞聖人御誕生850年であり、立教開宗800年という年になります。
そこで、下記の通り団体参拝旅行を企画しました。
御本山での慶讃法要は勿論、京都市伏見区の「日野誕生院」にて御誕生850年の記念参拝。
立教開宗800年記念に因み、親鸞聖人が55歳の時に浄土真宗の根本聖典である「教行信証」を書きあげられた
「稲田の草庵」現在の西念寺に泊まります。その他、親鸞聖人ゆかりの旧跡巡りなど充実した行程となっております。
皆様のご参加をお待ちしております。

 

□旅行日程:令和5年3月28日(火)〜4月1日(土)4泊5日
□旅行代金:お一人 115,000円

旅行取扱:西鉄旅行株式会社 佐賀支店
住所:佐賀市駅南本町6-7 第一内田ビル7階
電話:0952-24-7245/FAX:0952-24-6640

【浄土真宗と現代】(2)

前回、洋の東西を問わず宗教の本質は、「その教えに真摯に生きている人」に出遇うことが最も大切なことだと書きましたが、その実、西洋社会では、生活のすみずみに至るところまで人々は、『神とともに』生きていると実感させられたことがあります。

 

それは、生活していく上において大事なお金の中にまで、「IN GOD WE TRUST」と、紙幣やコインを問わず「ドル」であれば、全てのお金に「神が宿っている」ということです。  また、四十数年前に起こった出来事ですが、田中角栄首相時代にアメリカロッキード社からの贈賄事件がありましたが、アメリカ議会の公聴会でロッキード社のコーチャン副社長が証言するときに、『聖書に手をおいて真実を述べる』と誓っていた姿が、いまだにまざまざと瞼に焼き付いています。

 

さらに、2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービル航空機突入テロ事件のあと、翌年の初盆に、当時ニューヨーク本願寺仏教会に赴任していた大学の同級生「中垣顕實」開教使が、ニューヨーク在住の超宗派のお坊さん達に呼び掛けて、マンハッタンのハドソン川で人種や国籍を超えて、「9.11テロ事件」の全ての犠牲者を追悼する初盆法要の「灯籠流し」を行ったのですが、この事を伝え聞いた当時のアメリカ・ジョージブッシュ大統領から、ワシントンのホワイトハウスに招待を受けたと聞きました。洋の東西を問わず、聖職者に尊崇の念を表すキリスト教社会の「懐の深さ」を、垣間見た思いです。

 

ひるがえって、我が仏教国日本でも、私は、『み仏さまとともに』生きているを実感しています。それは、浄土真宗は特に、行住坐臥、時節の久遠を問わず、いつでもどこでも『お念仏を称えることができる』ことです。在家仏教の素晴らしさです。人生の悲しみのときも喜びのときも常に、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と、阿弥陀さまのおこころをお称えしながら、阿弥陀さまと一緒に歩む人生です。

 

私の祖父はそれこそ1日中、朝起きた時から、夜休む時まで、お念仏が絶えぬ人でした。ご飯を食べているときも、なんまんだぶ。お風呂に入っているときも、なんまんだぶ。トイレに入っているときも、なんまんだぶと、とにかく称名念仏が絶えませんでした。幼い頃、父に、「トイレにも、まんまんちゃんがおってあると?」と、真剣に尋ねた思い出があります。

 

当時は不思議に思っていたことですが、私も齢を重ねて、さまざまな経験を得て来ると気づいてくることがあります。それは、『おかげさまで生かされている』ということです。見えない陰(かげ)に「お」と「さま」まで二重に付けて、私を生かしてくれているすべての「一切衆生」に感謝の念を供えるのです。私の人生を、いついかなる時でも見守って、お浄土へと導いて、支えていただいている阿弥陀さまに、「なんまんだぶ なんまんだぶ」と、阿弥陀さまの、み名を喚(よ)んで、感謝の気持ちをお供えするのです。(続) 合掌

SUBARU便り(4)

光明寺門信徒の皆様こんにちは。長男の顕信です。
今回も「SUBARU便り」です。

 

今回のSUBARU便りは、ブランド名とエンブレムに込められた意味について焦点を当てたいと思います。
スバルは車作りも特徴的ながら、名前も特徴的です。
トヨタ、ホンダ、マツダ、スズキ、はいずれも創業者の名前がそのままブランド名になっているので
イメージしやすいですが、正直スバルに関しては全く想像がつかないと思います。

 

会社が発足してからこれまで、スバルの車のエンブレムのデザインは少しずつ変化をしてきたものの、
「外枠の円とその中に星が6つ」というコンセプトは変わりません。「六連星」と書いて「むつらぼし」という呼称で親しまれています。
現在は「横長の楕円形の中に、星6つが全て収まっている」という形に落ち着いていますが、
エンブレムにどんな意味があるのか、なぜベースの形状が変わらないのか、断片的なことしか知らなかったため、少しだけ詳しく調べてみました。

 

スバルのエンブレムのモデルになっているのはプレアデス星団と呼ばれる、数百もの星が集まってできている星団です。
そのプレアデス星団の和名が「昴(すばる)」になります。星団の中で、肉眼で見ることができるのは「6つ」ほどになっていて、
これを図案化したデザインがスバルのエンブレムになっています。
ちなみに、プレアデス星団とはおうし座を構成する要素の1つで、主に冬の時期に見ることができます。
皆さま「冬の星座で最も見つけやすい星座」こと、「オリオン座」は見つけたことはありますか?
おうし座はオリオン座の隣にあるため、オリオン座を起点にすれば比較的簡単に見つかりますので探してみてください。
「春は あけぼの」で有名な枕草子にも「星は すばる」という一節があり、作者の清少納言もすばるを美しい星として特筆しています。

 

話が逸れましたが、次はなぜこの「すばる」がモデルとして採用されたか、です。
今でこそ「株式会社SUBARU」と、ブランド名がそのまま会社名になっていますが、数年前までは「富士重工業株式会社(以下、富士重工)」という会社名でした。
富士重工という会社は、第二次大戦中に零戦を中心に数々の傑作機を生み出した「中島飛行機」が前身になります。
中島飛行機は1950年の財閥解体により、多くの会社に分割されますが、その数年後に富士重工を中心とする旧中島飛行機系の5社と統合されることになります。
これら合計6社を表してるのがエンブレムの6つの星になります。
また、星団すばるの語源は「集まって1つになる」という意味を持つ「統ばる(すばる)」から来ているようで、会社合併のイメージとも合いますね。
こうした天文学的なアイデアは、東京大学東京天文台(現:国立天文台)からのアドバイスを受けたようです。

 

スバルに入れて頂いて車作りに携わりながら、スバルの車作りに「真面目・誠実・無骨」そんなイメージを抱いてましたが、
ブランド名1つに様々な根拠を求めているあたり、会社に息づく根っこの部分は変わらないのかなと思いました。
だからこそ、これまで多くの人に受け入れられて会社が存続できているわけで、
技術革新目まぐるしい現代でも「スバルらしさとは何か」を考えて見失わないことが大事なことかなと思いました。
先述した枕草子では無いですが「車は スバル」と言ってくれる人が増えるような仕事ができればと思います。

 

今回のSUBARU便りはこの辺で。それではまた次回に。

 

最後に余談ですが、会社が統一してできたエンブレムと言えばアウディも同じで、
あの輪っかが4つ並んでいるデザインは、アウディの前身4社が統合してできたことを表しているようです。

 

 

SUBARU便り(3)

光明寺門信徒の皆様こんにちは。長男の顕信です。
今回は「SUBARU便り」のリクエストなので仕事の話なのですが、
スバルをほぼ知らない方のためにスバルの簡単な紹介をしたいと思います。

 

スバルと聞いてどんなイメージを持ちますでしょうか。
マイナー、車好きが乗っている、スバル360、富士重工の車…等々イメージあると思います。

 

スバル車の特徴は大小様々ですが、同業他社と一線を画してきた特徴と言えば「水平対向エンジン」と「四輪駆動」かと思います。
世の中の大半のエンジンがピストンを上下方向に配置しているのに対し、水平対向エンジンはピストンが水平方向に配置されています。
水平対向エンジンのメリットは振動が少ないことです。他のエンジンだと上下のピストン運動方向の振動が起こるのに対し、
水平対向エンジンは左右で振動が打ち消されるという、簡単に言えばこうしたメカニズムです。もちろんデメリットもありますがここでは割愛します。
ちなみに水平対向エンジンを採用しているのは現在では,スバルとポルシェのみです。

スバル車のほとんどは、アクセルを踏んだときに四輪全てが駆動する四駆車です。四駆のメリットは雪道や路面状態の悪い道での走破性が高いことです。
街中走行ではスバル車に出くわす割合は低い印象がありますが、スキー場とかに行くとスバル車の割合がぐんと増えるのが面白いところです。
動画サイトを調べたりすると雪道でスタックしている車をスバル車が引き揚げている動画がよく出てきます。

 

最近出てきた大きな特徴は「アイサイト」でしょうか。TV見られる方はCMで見かけることもあると思います。
自動ブレーキを始め、カーブ前の減速制御、渋滞時の追従機能および発進のアシスト、車線変更アシスト等、様々な機能が装備されています。
自動ブレーキについてはアイサイト装備車では追突事故が84%減少したそうです。効果抜群ですね。
同業他社も挙って採用している自動ブレーキですが、未だ辛うじてトップクラスの性能を出せているようです。
ちなみに、アクセルとブレーキの踏み間違いで、車ごとお店に突っ込むニュースがよく目にされると思いますが
アイサイトにはこの誤発進を防止する機能もあります(ただしAT車限定)。

 

実は上記の内容は、公式HPにも載っている内容なので、ぜひ他のスバルの売り・魅力と合わせてご一読ください。

 

ここで終わっては少し物足りないので、最後に僕の専門分野であるライトについて、豆知識程度の紹介をしたいと思います。
皆さんはバックする車を後ろから見て、片側だけしか光っていない車があることに気づいたことはありますか?
「もう片方は玉切れかな?」なんて思ったりするかもしれませんが、実はもう片方の位置はリアフォグランプであることが多いです。
世の中を走っている大抵の車は、「リアフォグランプが車の中央に1つ、バックランプが左右対称に2つ」もしくは
「リアフォグランプとバックランプが左右対称に1つずつ」設定されているというケースが圧倒的に多いです。

 

そして、後者のパターンで日本で見かける車は、ほぼ100%リアフォグランプが右側についています。

 

これは「リアフォグランプを左右どちらかに1つ置くパターンとする場合、リアフォグランプは運転席側」という法律があるた

めです。

日本車の運転席は右側なので、リアフォグランプも右側につきます。
これに反している車は、外国で売っている左ハンドルの車をそのまま日本に持ってきた場合とかですね。

 

終わりにですが、4月の頭に久しぶりに体調を崩してしまいました。
発熱したため、コロナ感染も頭を過ぎりましたが、PCR検査は陰性でした。
仕事で少し無理が重なっていたという心当たりはありましたが、改めて健康第一だなと思いました。
福岡の方も感染者が増えているとのことで、皆さまも十分お気を付けてお過ごしください。

 

【浄土真宗と現代】(1)

【浄土真宗と現代】(1)

 

今から37年前、1984年(昭和59年)の春、私が京都・龍谷大学の大学院で真宗学を学んでいた時、恩師で元学長の信楽峻麿先生のお導きで、大谷光真御門主様とともにアメリカ東部ボストンにある、ハーバード大学神学部の世界宗教研究所センターで開催された、「浄土真宗とキリスト教のシンポジウム」に参加したことが、その後の、私の人生を決定づけたと言っても過言ではありません。

 

今でも鮮明に覚えていますが、どうしてもこのシンポジウムに参加したくて父に、「貯金もあまりないので、お金を貸してください」と、相談しました。そうしたら、父はすぐに、「御門主様と一緒に行けるのか」と、驚いた顔で話し、「俺が一緒に行きたいくらいだ」と、話してくれて、参加費用の半分だけ援助してもらいました。

 

この時、父が背中を押してくれたことが、34年の時空を超えて、平成30年11月3日の「光明寺本堂等新築落成慶讃法要」の、『前門様ご巡教』のご縁につながったと、しみじみと回想しています。

当時、参加されたメンバーはその後の宗門を担う、学識経験豊かで、お坊さんとしての実践力をともない、文武両道(教学と法務)に秀でた、そうそうたる方々がいらっしゃいました。今、その先頭に立っておられるのが東京仏教学院元講師、横浜市中区桜木町、寳光寺の藤田恭爾ご住職です。

 

この経験を通して、一番勉強になったのが、洋の東西を問わず宗教は、「その教えに真摯に生きている人」に出遇うことが、最も大切なことだと気づかされたことです。どんなに立派な教えでも、その教えに生きている人に出遇わないことには結局のところ、その教えは理解できません。

 

当時、世界の最先端をゆく文明社会でありながら、「病めるアメリカ」とも言われていた時代状況の中で、従来のキリスト教理解に満足することができず、より深い宗教的真実を探求してのシンポジウムだったのかもしれませんし、また、他の宗教の真理を学ぶことによって、それぞれが自分自身の信仰を、今一度、確かめようとしていたのかも知れません。

 

ただ、西洋という異文化圏、キリスト教社会の中で、浄土真宗を懸命に伝えておられたアメリカ在住の大学の先生方、ハーバード大学の永富正俊先生、スミスカレッジの海野大徹先生(北米開教教団開教使兼務)と話したときに、「南無阿弥陀仏をTHANK YOU BUDDHA」と、シンプルに伝えていると話され、「お念仏の味わいは、学問ではなく、全人格的なものです」と、話されたことが非常に印象深く、いまでも心に深く刻まれています。(続)

 

合掌

『さだまさし特番(中)』

『さだまさし特番(中)』

TVQ九州放送 報道スポーツ局長

元西日本新聞社編集局長

                             

■さだまさし特番(中)

 シンガー・ソングライターさだまさしさん(69歳)が「人生最大の恩人」と慕う人がいる。昭和の文壇で異彩を放ち、文化勲章を受章した文芸評論家、山本健吉さん(一九〇七~八八)である。さださんは今、こう振り返る。「あの時、健吉先生が支えてくれなければ多分、ここまで長く歌ってこなかったと思う」

 さださんは28歳だった1980年、映画「二百三高地」の主題歌として「防人の詩」を発表した。「教えてください/この世に生きとし生けるものの/すべての生命に限りがあるのならば/海は死にますか/山は死にますか/風はどうですか/空もそうですか/教えてください……」。万葉集に収められた輪廻転生の一首(作者不明)に触発されて、この歌を書いた。

  「鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ」(人間は死ぬというが、海や山は死なないのだろうか。もちろん海も山も死ぬ。だからこそ海は潮が引き、山は枯れるのだ。人間も同じだ)。テーマは命の尊さと儚さ。紛れもなく反戦歌だった。

  ところが、曲解された。日露戦争の主戦場となった二百三高地の激戦を描いた映画は、どんなに多くの犠牲を払っても自衛のために戦わざるを得なかったという色彩が濃く、「好戦的な映画」と評された。同時に「防人の詩」も戦争を美化する歌だとされ、さださん自身「右翼」という見当違いのレッテルを張られた。

 「この歌のどこが戦争美化で、右翼なのか。徹底的に反論したかったけど、いったん張られたレッテルをはがすのは難しかった。腹が立ったし、落ち込んだ。投げやりにもなった」。そんな孤立無援の状況で、山本さんは文芸誌に「防人の詩」を絶賛する論評を掲載。その後もさださんを励まし続けた。

 「いなくなった人の歌を歌うのは、挽歌といって日本の詩歌の伝統であって神髄である。君は知ってか知らずか、日本の詩歌の本道をちゃんととらえている。それでいい。君は間違っていないのだから、何を言われてもやり続けなさい。ひるむ必要はない。詩歌に生きた人は、そんなことでひるんだ人は一人もいない」

 その言葉に支えられ、歌い続けてきたさださんは山本さんの死後、遺骨が納められている福岡県八女市の「無量寿院」を何度も訪れ、山本さんの墓前にぬかずいてきた。「原点」を忘れないためだ。3月18日に営まれた山本さんの三十三回忌法要にも出席。その夜には八女市民向けのコンサートを開き、山本さんや遺骨を守る関係者への感謝を語り、原点への思いを込めて「防人の詩」を捧げた。

 TVQ九州放送のプロデューサーとして八女を訪れたさださんに密着し、特別番組を制作した。タイトルは「さだまさし『原点』への旅」。TVQなどテレビ東京系列ネットでの全国放送は、6月5日(土曜日)午後4時からです。

合掌

(TVQ九州放送・傍示文昭)

 「気まぐれ休日ブログ」

光明寺門信徒の皆様こんにちは。長男の顕信です。

2ヵ月ぶりの投稿になります。2月から新しい仕事に移り、少しバタバタしていました。
皆さま如何お過ごしでしたでしょうか。

先日、妻の淳子と一緒に日帰りで秩父に行ってきました。
コロナ禍ということで一応自粛は続けておりまして、約3ヵ月ぶりのお出掛けでした。

マニュアル車を買ってから運転の楽しみが増え、久しぶりに長めの距離を運転したいと思って計画しました。
秩父では、いちご狩りに行って、コーヒー豆やウイスキーを買って、温泉に入って、湧水地に行って、
コストコやアウトレットで買い物をして、、、というスケジュールでした。
ほとんど、僕のやりたいことだけが詰め込まれているなんとも自分勝手な小旅行です(笑)。

ウイスキーは、コロナ禍で新しく興味を持った趣味?で、少量ですがほぼ毎晩飲んでます。
秩父では「麻屋商店」さんという、ウイスキーの量り売りで有名な酒屋さんが目当てです。
ボトルで買うと高価でとても手が出ないような銘柄を、50ml単位で小瓶に詰めて売ってもらえるので
安価に楽しむことができます。
色々話を聞いて今回は27年モノを買いました。今、僕が30歳なので27を引いて3歳のときに樽詰めされたお酒ですね
(ブレンド酒なので厳密に言うと27年以上のお酒も混ぜられています)。
普通の酒屋さんと同じく、もちろんボトルでの販売もあって、欲しかった「アラン21年」というボトルも買えました。
ウイスキーについては、いずれ別の機会に詳しい文章を書こうと思います。

コーヒーも好きで、我流ですが、毎日朝起きてコーヒーを淹れるのが日課です。
湧水地に行ったのもコーヒーに使うのが目的で、湧き水使うと美味しく淹れられる(気がする)ので、
チャンスがあれば、こうしてどこか行ったついでに水を汲みに行きます。

その他の、いちご狩りもコストコもアウトレットも楽しんでとてもリフレッシュできた1日になりました。

こんな感じでほどほどに楽しく過ごしてますが、春に気楽に外出できるようになったのは実は2年くらい前からの話です。
理由は、毎年春は花粉症に悩まされていたからなんですけど、
今回は、僕の春の過ごし方を一変してくれた「花粉症治療」のことも合わせて少し紹介しようと思います。

僕は10歳頃にスギの花粉症を発症し、以後20年くらい毎年この時期は花粉に苦しめられました。
とりわけ、大学受験を控えた大事な時期に睡眠不足感が続いて勉強中もきつかったことを今でも覚えています。

毎年、病院には通いましたが薬を服用しても、なおきつかったため、
春は、「外出は必要最小限」、「洗濯物は絶対に外に干さない」、「室内は常に空気清浄機稼働」を徹底していました。
さらに大学時代は、スギ花粉が無い北海道や沖縄に旅行に行き、花粉から逃げたりしてました(笑)。

そんな中、一昨年に出会ったのが「舌下免疫療法」という治療です。
薬を、舌の下に入れて唾液で溶かして飲みこむ治療内容なので名前の通りですね。医師の指導のもと、治療を行います。
治療の理屈を簡単に説明すると、「アレルギー物質を含む薬を毎日飲んでアレルギー物質に体を慣れさせる」ことをやります。

治療を始めて1年目で早速効果を実感し、症状がゼロにはなってないですが、あまり気にならないレベルまで改善され、
外出することも抵抗なくできるようになりました。

本当に、「人生が変わるレベルまでの効果」を感じていて、大学時代から僕を見てきた淳子も僕の変化にすごく驚いています。
皆さまの周りで花粉症に悩んでいる人がいたら、ぜひ紹介してみてください。
診療費等にも依りますが、参考までに僕は、月額2500円程度で治療していて、費用対効果が高い投資だと思ってます。
治療の効果は当然個人差はあるかと思いますが、花粉症は本当につらいので1人でも多く悩む人が減ったらいいなと思います。

耳納連山の麓 「山苞の道(やまづとのみち)」

耳納連山の麓 「山苞の道(やまづとのみち)」

 「株式会社樹蘭」は、造園外構の樹蘭ガーデン、観光果樹園のフルーツファーム樹蘭、カフェ フルーツパイの店樹蘭、樹蘭マルシェ、農園レストラン フルールの5部門を展開しております。

 樹蘭ガーデンは、一般のお客様向けの造園外構工事の設計・施工・管理を行っております。

 フルーツファーム樹蘭では、ぶどうとイチゴをメインに観光果樹園を行っております。今まさに、

いちご狩りの真っ最中です。

 カフェ フルーツパイの店 樹蘭では自家製フルーツ(イチゴ)をふんだんに使ったフルーツパイやケーキが盛りだくさんです。

 樹蘭マルシェは、オシャレな空間に農産物直売、農園レストラン、ガーデニングショップが一つにまとまっています。
 

 マルシェは、田主丸地方の新鮮な野菜や果物、加工品などがズラリと並び生産者の顔が見える販売を心がけています。農園レストランは、地元で採れた農産物を使用し、旬の食材がたくさん入った料理を提供しています。ガーデニングショップでは、寄せ植え教室や箱庭つくりなどのイベントも行っており、ガーデニングをより楽しく、身近に感じられるような工夫をたくさんしています。

株式会社樹蘭 〒839-1212 久留米市田主丸町石垣482-1

TEL 0943-72-4528 FAX 0943-72-2188

樹蘭マルシェ 〒839-1213 久留米市田主丸町益生田680-1

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e-mail ⇒ info@juran-marche.com