ニューヨーク平和財団代表
元ニューヨーク仏教会開教使
中垣顕實
前回の続きです。実は、ここ十年間ほど聖徳太子とのご縁が深くなってきた感じがありまして、バラバラな日本の仏教が一つになるには、聖徳太子に戻るのがよいと思っています。日本仏教の開祖であり、さまざまな宗派の壁を超えて「和を以て貴しとし<平和>、さから(忤)うことなきを宗とする<非暴力>」(『十七条憲法』第一条)仏教の特徴である平和主義、非暴力のメッセージでお互いに協力し合うことも可能ではないしょうか。
また同憲法第2条の篤く三宝を敬うということは、同じ仏教徒が宗派を超えて一つになれる部分でありますし、同時に三宝とは真理に目覚めた仏、真理の説かれた法、その真理を実践する僧を大切にすることですので、真理をその中心に万人が一つになれる道かと思います。=
一緒に協力して何かをすることを拒むのは自分の宗派が大きくて、力を持っているため、他の宗派と協力する必要がないと感じるからだとも思われます。米国の日系人社会の歴史を見ていても、初期の移民の人たちは非常に貧しかったのですが、皆が協力して、米国の地でお寺を建てました。米国西海岸の日系人が住む地域に建てられ、それらのお寺が今でも米国仏教団の主力のお寺になっています。その当時は仏教徒が集まれる場所ということで、西本願寺派の僧侶が日本から派遣されましたが、一宗派ではなく、仏教という枠組みで始められ、「仏教会」という呼び方をしていました。近年は日系人も皆、社会で成功し、自立してやっていけるようになっていますが、新しくできたお寺はほとんどありません。皆で協力すれば何でもないことのはずですが、そこまでしなくてもいいことになるのでしょう。必要性の問題なのかもしれません。
概して、貧しい時は協力し合うが、裕福になってくるとあまり協力しなくなるのはよくある話です。小さなオーガニゼーションは他のオーガニゼーションと協力し合うこともよくありますが、大きなオーガニゼションになるとその中での協力はあっても、他のオーガニゼーションとはあまり協力しなくなります。国連での核兵器のNPT再検討会議のことにしても、力のある肝心の核兵器所有国は核廃絶の声に耳を傾けない状況にありますが、大国ほど自分勝手な行動をとっているようです。
仏教では傲慢心ということになるのでしょうが、それに気がつけば、もっと人の言うことに耳を傾けよう、自分のやっていることも反省しよう、困っている人の手助けをしよう、という利他の心、慈愛の心に転換され、大きな変化が起こるのだと思います。「一切衆生」を救おうという教えは、様々な人たちと協力し合うという道を開き、武器を捨てる平和な道を開いていくことになるのでしょう。
日本仏教全体で協力しあって、利他の心、感謝の心、苦しんでいる人に寄り添える心を育んでいくことが今の社会に必要であり、お寺自身もそれを実践していくならば、それこそが日本仏教の原点であり、仏教的平和の原点ではないかと思います。聖徳太子の存在は理想を現実化できることを意味します。
親鸞聖人が聖徳太子を尊敬されていたことは、晩年聖徳太子に関する二百首もの和讃を見れば明らかです(『皇太子聖徳奉讃』、『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』、『正像末法和讃』)。私は2018年に「N Y平和ファウンデーション」をNYで立ち上げましたが、その精神は聖徳太子『十七条憲法』に基づいています。
聖徳太子から始めよう! 南無三宝。