本日は遠近各地より、母のためにご会葬を賜り、誠にありがたく、心より厚く御禮を申し上げます。今月2日 91年と8ヶ月余りの、この世での人生を全うし、お浄土に帰っていきました。6日にお通夜、7日に密葬を勤めましたが、、、その、密葬を勤めた7日の朝に、突然、ウグイスが来訪し、14日まで、ちょうど一週間の間、毎朝来てくれました。春爛漫の桜満開のこの時に、やってきてくれて、、酉年生まれの母が帰ってきたと直感しました。
「ホーホケキョ、ホーホケキョ、法を聞けよ 法を聞けよ」と一週間の間、毎朝さえずり続けてくれて、いかにも、お念仏を喜んで、称えていた母らしい、季節外れの、、「桜にうぐいす、お浄土参りできた喜び」を、阿弥陀さまの化身となって、還相回向で帰ってきて、伝えてくれているんだなあと、ありがたく、、嬉しく、、感じました。
母は、昭和30年の12月25日に、熊本県宇土市の正榮寺からこちらに嫁いできました。今年で丸々70年になります。当時、「久留米は遠いなあ」と感じたそうです。また、父の学校勤務の関係で、冬休みに入った初日、クリスマスに佛前結婚式を挙げたのは、私と住職さんぐらいだろうと何度も話していました。クリスマスの佛前結婚式が、よほどの思い出になったのだろうと思っています。
人と接するのが大好きで、おしゃべりが大好きで、そして、お聴聞が大好きでした。典型的なお寺の坊守さんだったように思います。ときには、母に捕まっておしゃべりの相手をさせられて、閉口されたご門徒さんもおられたかと思っていますが、今日は、母に免じて許してください。
また、母は、90歳になるまで入院したことがありませんでした。「親から丈夫な身体をもろうて仕遇わせたい」と、何度も口にしては、と同時に、なんまんだぶ、なんまんだぶと、お念仏を称えていました。感謝のお念仏だったろうと思います。
母の生涯は、亡くなる時まで、お念仏三昧の日々でした。山口県下関市、六連島の妙好人、お軽同行の詩に、「鮎は瀬にすむ、小鳥は森に、わたしゃ六字のうちにすむ」と歌ってありますが、まさに、母も、詩の通り、なんまんだぶの、六字のうちにすんでいた生き方でした。
その、お念仏を愛しみ、お念仏三昧を過ごした母が、生涯で一番喜んでくれたことが
6年半前のことになりますが、御本堂の落慶法要で、大谷光真前ご門主さまに来ていただいたことです。最初は、半信半疑で聞いていて、「ほんなこつ、前門様がきなはっとね」と尋ねてきて、「ほんなこつたい、さっき、横浜の藤田先生から連絡があった」と話すと、「本当ね、長生きしとって良かったたい、きなはっときまで、生きとかないかんたい」としみじみ話していたのを覚えています。実際に来ていただいて、帰り際には、前門様から直接、母に、「坊守さま、お元気でお過ごしください」と、お声をかけていただいて、母が本当に感激して、顔が異常に紅潮していたのを今でもはっきりと覚えています。
このときに、母が寄進してくれた仏具が、今日、阿弥陀様の前卓にお供えしている「ご巡教記念の特別五具足」です。このときばかりは、母も「よか冥土の土産ができた」と、ご満悦でした。
よくよく考えてみると、「お浄土参りの人生」を、母は、自分で全部準備して、荘厳して、整えて、参っていったと思います。
昔、読んだ書物のなかに、「念仏して自己を充足し、報土の底に埋もれるをもって喜びとなす」という言葉がありましたが、病床にあった母のお念仏申す、そのすがた、お浄土に向かってひたすらに、お念仏申して自己を充足している、その生きざまに、私のほうが、逆に救われていました。安らかなる不思議なお念仏の世界に包まれていました。
4月1日、亡くなる前日、3年間、訪問診療でお世話になった、きずなクリニックの黒岩先生がみえて、「傍示さん、どうですか」と、声を掛けて(呼び掛けて)いただいたとき、母は、突然、「まあまあ」と、はっきりした声で応えました。こっちも、おもわずビックリしましたが、、、いかにも母らしい、その「まあまあ」が、そのまま、「安心して、お浄土参りします」と、私には聞こえて、人生に満足して行ってくれていると確信しました。
私の学生時代の恩師、信楽峻麿先生も最後、亡くなられる2日前に、「いろいろあった人生だったけど、本当にいい人生だった」と、仰られて、お浄土参りしてあります。
念仏の行者は、それぞれに、お念仏に喚ばれて自己を充足し、お念仏に喚ばれて
自己を完結させ、お念仏に喚ばれて生死の境界を超える。
先達、先立った方々は、、私が申すところの、お念仏となって帰ってきてあります。思い出しては称え、、、称えては思い出しながら、本日ご会葬の皆さまと共々に、わたくしも、また今日から再び、お浄土への旅路を続けさせていただければと思います。
光明寺に嫁いできて70年、ご縁をいただいた多くの方々に、多くのご門徒さんに本当に御世話になりました。本当にありがとうございました。心よりの御禮の言葉とさせていただき、ご挨拶とさせていただきます。誠にありがとうございました。
合掌 南無阿弥陀仏