浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

ジャーナリストの眼力

コラム石原節

■「石原節」で終わらせてはいけない

 

 二月一日、石原慎太郎さんが八九歳で亡くなった。想像していたとはいえ、石原さんの訃報を伝える全国紙の報道には失望した。「歯に衣着せぬ発言」「石原節」。こういう見出しや表現が紙面を飾った。その死を悼み、死者への礼を保つことと公人として残した悪影響を断つことは両立する。にもかかわらず、石原さんのあらゆる差別発言や暴言も「石原節」とひとくくりにして報じたのでは何の教訓も生まれない。

 

 弱者差別、民族差別、女性差別と具体例を挙げれば切りがない。

 

 石原さんは東京都知事となった直後の一九九九年、重度障害者の病院を視察した際に「ああいう人ってのは人格があるのかね」と発言。二〇〇〇年、陸上自衛隊練馬駐屯地の記念式典ではこう挨拶した。「不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害では騒擾(そうじょう)事件すら想定される。警察の力に限りがあるので、みなさんに出動していただき、治安の維持も大きな目的として遂行してほしい」。関東大震災時の朝鮮人虐殺を再びあおるような発言だった。

 

 翌〇一年、週刊誌のインタビューでは高齢女性を「ババア」と表現した上で「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪です」と存在そのものを否定。極めつけは二〇一一年の東日本大震災の直後だった。「津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」。被災者が激しく反発し、さすがに発言は撤回したが、謝罪はしなかった。

 

 「三国人」発言も「ババア」発言も、言葉が滑った失言ではない。確信犯である。それが差別であり、社会的に受け入れられない内容であることを百も承知の上で、言ってみれば社会を挑発したのである。そして私たちの社会は、その発言に眉をひそめる向きはあっても、押しとどめることはできなかった。それどころか、報道機関はこうした発言を「石原節」と呼び、個人のキャラクターの問題に帰結していった。一部の報道機関は「もてはやした」といっても過言ではない。

 

 その結果、石原さんの発言は「問題」として認識されなくなり、「石原さんだから仕方がない」という空気が急速にまん延。その空気は石原さん以外の政治家にも広がり、繰り返される麻生太郎さんの暴言や失言も「麻生節」で片づけてしまっている今がある。

 

 公人が差別を扇動し正当化する害悪は深刻で、正面から批判するのが報道の重要な役割である。石原さんの生前、あってはならない発言をきちんと正すことができなかったジャーナリストの一人として思うのは、石原さんの発言を「石原節」で終わらせてはいけないということである。その死を節目に「差別発言は許されない」という機運を醸成できないようではジャーナリズムとは呼べない。

 

(TVQ九州放送・傍示文昭)