シンガー・ソングライター井上陽水さん(七六)の初期の作品に「人生が二度あれば」という歌がある。仕事一筋に生きて初老を迎えた父と家族のためだけに生きた母。夫婦でこたつを囲み、お茶を飲む姿を描写した歌詞は、ひたすら切ない。中学生のときに初めて聞いて以来、常に耳に残り、年齢を重ねるごとに違った感情を抱きながら聞いてきた歌だ。特に母を歌った二番の歌詞は、昔と今では明らかに受け止め方が変わった。 ♪母は今年九月で六四 子供だけの為に年とった 母の細い手 つけもの石を持ち上げている そんな母を見てると人生が誰の為にあるのか分からない 子供を育て家族のために年老いた母 人生が二度あれば この人生が二度あれば 今年四月二日、九一歳の母を看取った。息を引き取る数日前、やせ細った母のベッドに寄り添ったとき、ふと脳裏に浮かんだのもこの歌だった。これまでも母の人生を思うとき、何度も思い出した歌だったが、この時は全く別の思いが駆けめぐった。晩年に交わした会話がきっかけだった。 「自分の人生を振り返ってどげんね? 幸せだったと思うね?」。ある日、私は唐突に母に尋ねた。三世代同居の大家族である寺の嫁として、趣味の多い夫の妻として、男ばかり三人の子供の母として、そして寺の坊守として、怒りや不満を黙って飲み込み、我慢に我慢を重ねて生きてきたのではないか。母に対し、陽水さんの歌詞と重なる思いがあったからだ。 母はしばらく考えてからこう答えた。「幸せだったかどうか、あんまり考えたこともなかね」「ただ不幸だと思ったことは一度もなかけん良か人生だったと思うよ」。そして、こう付け加えた。「もう十分生きたと思うけど、まだお浄土からお迎えが来んたいね」 母の理想は「ピンピンころり」だった。九〇歳になる直前まで入院したことがないほど健康で、食欲も旺盛だったが、足腰が弱ってから弱音が出始めた。慢性の腎臓病が悪化し、塩分摂取を制限されてからは特に「長生きし過ぎた」の言葉が増えた。大好きだった鰻のかば焼きをはじめ食べたいものを口にできないことが相当つらかったのかもしれない。 門徒葬が終わり、満中陰を過ぎてからも、母の人生を思うとき脳裏に「人生が二度あれば」が流れる。「人生が二度あれば、また同じ人生を歩みたいと思うね?」。生前、私は母にこの問いかけをしなかった。聞かなくてよかったと思う。愚問だ。人生は誰のためにあるのか。夫や子供たちと平穏な家庭を築き、門徒とともに生きた母の人生は、紛れもなく母のためにあったのだから。合掌。