西日本新聞社の編集局長だった五年前、不祥事で記者二人が懲戒解雇されたことに関する記事をネットメディアが配信した。解雇自体は事実なのだが、不祥事にいたる経緯は面白おかしく書き立てられた。局長である私にも原因があったと指摘された。人事権を持つ私に嫌われ、ライン職を外されたことから「仕事へのやる気を失い、不祥事につながった」などと。ほかにも事実と異なる内容が多く、社内では記事の削除や訂正を求める声も上がったが、静観した。不祥事を防ぐことができなかった管理・監督責任は免れないからだ。
ただ、そこからが大変だった。記事の中から私個人に関する記述が切り取られ、交流サイト(SNS)上で拡散した。書き込みには明らかなデマも盛り込まれ、中傷は続いた。なかには人格を否定するような暴言もあり、見えない相手から攻撃される怖さを実感した。
昨年末、元タレントの中居正広さんと女性の性的トラブルを一部週刊誌が報じて以降、SNSでは関係者への誹謗中傷がやまない。事実関係があいまいな中、当事者二人に加え、社員がトラブルに関与したと報じられたフジテレビ、さらには無関係な女性アナウンサーに関するデマや心ない中傷も過熱化している。兵庫県知事のパワハラ問題を追及した元県議が誹謗中傷を受けて自殺したとみられる件も含め、集中的に攻撃される「ネットリンチ」は、加速度的にエスカレートしている。
多くの識者は、その背景に「誤った正義感」があると指摘する。世は人類総メディア時代。SNS上では誰もが自由に、顔や名前を隠して意見を発信できる。自分が正しく、相手が間違っていると信じ、自らの価値観に基づく正義感で攻撃する。だから誹謗中傷していることにも気付いていない。批判と中傷は全くの別物なのだが、その違いも全く認識していない。他者を尊重し、自分が嫌なことは他人にも言わないという当たり前の道徳心はかけらもない。閲覧数で広告収入を稼ごうとするユーチューバーの存在も大きいだろう。
中居さんの性的トラブルをめぐっては、週刊文春がフジテレビ社員の関与を報じた記事の内容を一部訂正した。同誌は訂正前に記事を軌道修正していたが、その姿勢をめぐって批判が殺到。当初、記者会見出席者を一部に限定した上、説明責任を欠いたフジテレビの一連の対応のまずさも含め、既存メディアへの不信感は業界全体に広まっている。
SNSはニュースメディアにもなっている。そこには真偽不明の情報や意図的なデマも入り乱れている。だからこそ新聞やテレビ、雑誌などの既存メディアこそ、SNSのデマに真っ向から立ち向かい、ファクトチェックを迅速かつ徹底的にやるべき責務がある。長年にわたって視聴者や読者から信頼を得てきた既存メディアの存在価値もそこにある。
果たしてわれわれ既存メディアは信頼を回復できるのか。その鍵は、ファクトチェックできる取材力を維持できるかどうかにかかっている。