この度、光明寺及び柳川組の門徒代表を拝命致しました中林良則と申します。
身の引き締まる思いではございますが、精一杯勤めを果たす所存にございますので、宜しくお願い致します。
初めに私の略歴ですが、昭和32年に福岡市南区に生まれ、大学で長崎へ赴きますまでは、良き昭和の時代を福岡で伸び伸びと過ごしました。その後就職をし全国を巡り、一昨年退職を期に郷里の本地へ戻って参りました。
光明寺の傍示住職とは高校時代の同級生であり、親しくなり約50年になります。前住職の曉了様、お母様の坊守様をはじめ、光明寺のご家族全員には大変親しくしていただき、思い出は尽きません。
17年前に私の前妻に先立たれた折りに遺骨を、信頼する光明寺にお預けすることとなり、その際に改宗し光明寺の門徒となりました。その際にはお許しをいただきに福井の永平寺に伺い、その足で京都へ赴き真宗信者となるお誓いをするために本山・西本願寺へ伺いました。
思い返しますと真宗とのご縁は随分と昔からありました。私の母方の実家(佐賀県牛津町)は熱心な真宗信者で、幼い頃から「なんまんだぶ なんまんだぶ」と毎朝仏壇に手を合わせ正信偈を唱えて一日が始まりました。その頃の念仏を唱えていた祖母等の思い出は今でも鮮明に蘇って参ります。幼少から分からないながら信仰心はあったようで、お寺のお参り事には親が行けない時には代わって行くような子どもでした。
時が経ち、前妻の13回忌を経て同じように前夫を亡くした現在の妻と再婚をしましたが、現妻が以前に嫁いだ先も「築地本願寺」の門徒で、その義理の母は熱心な信者で、「得度」までされた方でした。婚前より亡夫の墓所である杉並区の「和田堀廟所」には折りあるごとにお参りして来ました。また、約40年間勤めておりました会社の創業者・中島董一郎も、真宗の門徒で、私は経営に携わる役職をしておりましたので、会長と社長が眠る「築地本願寺西多摩霊園」に、盆正月欠かさずお参りをして来ました。こうしたことを振り返ってみましても、御仏様の慈愛と、いただきましたご縁には驚きと共に深く感謝致しております。
真宗の拝謝である「仰ぎ称えるお念仏」は、日常生活に根付いたものであり、苦楽があっても心を落ち着かせ、自身を見つめ、阿弥陀仏の救済に感謝し、俯いた顔を浄土に向かわせる崇高な「阿弥陀如来のはたらき」であると思います。
現代社会において宗教は、人々の精神的な支え、コミュニティの形成、道徳的な指針、平和と共存、環境問題への取り組みなど、様々な役割を果たすことが期待されています。宗教の形態や内容は時代とともに変化していく可能性はありますが、その本質的な価値はこれからも変わらないはずです。
私達真宗門徒も、これからの浄土真宗の役割と在り方を宗祖御誕生850年、立教開宗800年の慶節の年に今一度考え、門徒一丸となって有るべき姿で、宗祖親鸞聖人さまの御遺徳を、次代の人々に伝承して行けたらと思います。
合掌