日本国内にある原子力発電所は、福島第一原発など一七カ所に上る。一方、これまで電力会社が建設計画を公表した後、地域住民の反対などで計画を断念した候補地は五〇カ所を超すという。そのひとつに石川県能登半島の先端にある珠洲町が候補地だった珠洲原発がある。
今年元日、珠洲町などをマグニチュード七・六の大地震が襲った。その震源は、電力会社が珠洲原発を建てようとした場所のほぼ真下だった。海岸線は最大四メートル隆起し、沿岸には津波が押し寄せた。能登半島にある道路はすべて寸断され、建物は大半が壊滅的な被害を受けた。「もし珠洲原発が稼働していたら」。そんな声とともに今、あらためて珠洲原発が幻に終わった経緯と建設を阻止した住民の行動が注目を集めている。
四九年前の一九七五年、関西、中部、北陸の電力三社は協同で珠洲市の高屋地区と寺家地区の二カ所に原発を建設する計画を発表した。政府も後押しした。高屋地区の住民は当初、大半が反対派だったが、電力会社側は当然、懐柔に動いた。説明会での飲食接待や原発視察名目の接待旅行、芸能人を呼んだ住民向けのコンサートの開催。地域の祭りで使う奉灯の収納庫や農作物の保冷庫などを建てるための多額の寄付もあった。原発予定地の土地を関電に貸し、億単位の賃貸料を得た住民もいたという。「カネ」の力の前に、一人また一人と賛成に回り、地域は分断されていった。毎年秋の住民運動会は中止され、原発に反対する商店では賛成派による不買運動も起きた。
地域を二分する対立が決定的となったのは一九八九年、高屋地区の建設予定地で始まった電力会社の現地調査だった。反対派の住民たちは調査に入ろうとした関電の車列を阻止し、市役所で約四〇日間にわたって抗議の座り込みを行った。その中心にいたのが、高屋地区にある浄土真宗大谷派の寺院、円龍寺の第二〇代住職、塚本真如さん(七八)だった。
今回の地震で円龍寺も壊滅的な被害を受け、塚本さんは二次避難先である加賀市のホテルで避難生活を送っている。西日本新聞の友好紙である中日新聞の取材に応じた塚本さんによると、計画が持ち上がった当初は賛成派でも反対派でもなかったという。むしろ賛成、反対で対立を強める門徒の住民を諭す、いわば仲介役を担った。
「現地調査までは表に出ないようにしていたが、このときは大声を上げた。行動しないと何もならんと。知らん間にリーダー的な存在に祭り上げられていた」と塚本さん。円龍寺は闘争の拠点となり、住民らはお念仏を唱えて道路に座り込んだ。
反対派で建設予定地の土地を共有化したり、関電株を買って計画撤回の株主提案をしたり。塚本さんらの反対運動が実り、電力三社が計画凍結を発表したのは二〇〇三年一二月。計画が持ち上がってから二八年が経過していた。
中日新聞のインタビューで最も興味深いのは、当初中立の立場だった塚本さんがなぜ反対派に転じたのかという点だ。「強い者の味方をしたら坊主じゃない」。先代の住職である亡き父の教えが原点だったという。