柳川組「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)推進協議会 「開催報告書」
光明寺住職 傍示裕昭(本願寺派輔教)
《問題提起》
(1)『今までの領解文』と、『新しい領解文』(浄土真宗のみ教え)とを対比しながら、それぞれの『文言』を押さえつつ、『真宗聖教全書』や『御文章』、そして『安心論題』等に問い尋ね、確かめるかたちで考究を進めた。
(2)『新しい領解文』(浄土真宗のみ教え)を考察するに、問題提起として、『文言』の何カ所かに、
(A)聖道門と浄土門の境界の混乱
(B)倫理道徳と宗教の枠組みからの逸脱 それぞれの領域の混在
(C)相対の世界と絶対の世界との混同
等々の、上記の三点を提起して、問題性の把握につとめた。
《質疑応答》
(1)新しい領解文(浄土真宗のみ教え)が御消息として、昨年1月16日に発布された時の、総長はどなたでしょうか。
(2)現在、全国の教区、そして有志の方々でさかんに『新しい領解文』(浄土真宗のみ教え)の学習会が行われていると聞いていますが、その内容はどうなのでしょうか。推進される立場での学習会なのか、それとも、その逆の立場なのでしょうか。
(3)今後、新しい領解文(浄土真宗のみ教え)が、このまま唱和推進されて普及されていくと、どうなるのでしょうか。
《まとめ》
(1)『新しい領解文』(浄土真宗のみ教え)を拝読するときに、『二種深信』の「機の深信」の摂まりなきを窺うことができます。『二種深信』は、「機の深信」と「法の深信」の二種が一具となっています。「安心論題綱要」17ページにも、「二種深信は、一具であって前後起でもなく、二心並起でもない。また、信後も性得の機相は変わらぬから二種深信は初後一貫する」と述べられてあります。結局のところ、「機の深信」の摂まりがないということは、『二種深信』そのものの摂まりがないということであり、結果的に、『新しい領解文』(浄土真宗のみ教え)は、「浄土真宗としての体を成していない」ということです。
(2)いまだに、『新しい領解文』(浄土真宗のみ教え)を、「得度習礼」で暗誦させて、「得度式」で、『領解出言』として、唱和させていることは大きな問題です。早急に『今までの領解文』に戻すべきだと考えます。
(3)現在、本願寺総局は問題の論点を、新しい領解文の文言内容そのものから、勧学寮頭(勧学寮員を含む)が御消息発布の『許可』を出したことへと、宗務法規上での「手続き上の問題」に論点をすり変えようとしています。問題の本質の責任転嫁そのものです。