関東大震災から一〇〇年を迎えた二〇二三年、ほとんど知られていなかった史実がいくつか話題を集めた。その中の一つに福田村事件がある。香川県の被差別部落出身の行商人一〇人(胎児を含む)が、千葉県の福田村(現野田市)と田中村(現柏市)の住人に虐殺された事件である。主にドキュメンタリー映画を撮ってきた森達也監督はあえて映画「福田村事件」として発表し、私もこの映画をみて事件を知った。
震災直後、「朝鮮人が暴動を起こす」といった流言が広がり、軍隊や警察、自警団などが朝鮮人を暴行、殺害した。中国人や間違われた日本人も犠牲になったが、被害の全容は今も不明だ。多くの朝鮮人が虐殺されたことは知っていても、方言の異なる日本人が殺されていたことはほとんど知られていない。森監督は朝鮮人と疑われた被害者が被差別部落出身だったことに注目し、虐殺の背景に蔑視と差別という社会のゆがみがあったことに焦点を充てた。
人間の尊厳と平等を求めて被差別部落出身者が「全国水平社」を起ち上げたのが、関東大震災前年の一九二二年だったことは単なる偶然ではない。被差別部落出身者への差別は当時、今では想像し難いほど社会に深く根を下ろしていたのだ。
ネット社会という新時代を迎えた今、部落差別は匿名社会を隠れ蓑に、陰湿さを増して続いている。その現実と向き合うため西日本新聞は、全国水平社創立一〇〇年の二〇二二年から長期企画「人権新時代」に取り組み、二三年度の新聞協会賞を受賞した。「すべての人が尊重される社会をつくるために」。その思いを胸に、四〇年以上に渡って人権報道に力を入れてきた西日本新聞の伝統と文化が手にした新たな勲章だと思っている。
西日本新聞は一九八〇~八一年、長期企画「君よ太陽に語れ―差別と人権を考える」に取り組んだ。当時マスコミ界でタブー視されていた部落問題を真正面から取り上げ、結婚や教育現場での差別、行政や市民意識のひずみを描き出した。このキャンペーンは新聞協会賞を受賞し、高く評価されただけでなく、「人権は書いて守る」という姿勢を後輩記者たちに植え付けた。記者の心構えを示す「人権報道の基本」は改訂を繰り返し、今も定期的に記者研修会を開いている。
私もその伝統と文化の中で育てられ、キャップ・デスクとしてさまざまな企画を手掛けた。一九九二年にシリーズ「事件報道の改革『福岡の実験』―容疑者の言い分掲載」を開始。容疑を否認している容疑者の主張を掲載する試みを全国に先駆けて行い、新聞協会賞を受けた。九八~九九年には「犯罪被害者の人権」に光を当て、二〇〇五年には犯罪少年の更生を考えるシリーズ連載「少年事件~更生と償い」に取り組んだ。すべて「君よ太陽に語れ」が原点だった。
「人権新時代」の新聞協会賞受賞が決まった直後の昨年九月中旬、社会部長(当時)として「君よ太陽に語れ」を指揮し、人権報道の礎を築いた稲積謙次郎さんが八九歳で亡くなった。受賞の知らせを受けた稲積さんは「良かった」と語り、感無量の表情を残してお浄土に旅立ったという。合掌。