光明寺門徒 浮池俊憲
この度、“親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要“に、光明寺門徒の一員として夫婦で参加しました。
京都では大谷本廟、日野誕生院、それから西本願寺と参拝しました。翌日早朝6時のお晨朝、午前10時からのご法要初日の“慶讃法要”に参拝した後、一路東京へ。
築地本願寺では、朝7時のお晨朝に参拝した後、親鸞聖人が真宗教義を伝え広められたゆかりの地、関東二十四輩へ参拝と観光を兼ねた4泊5日の旅でした。いずれの日も天候にめぐまれ、美しい桜が咲き誇り、優しく揺れる菜の花を眺めながらの春爛漫の旅でもありました。
それぞれのお寺での参拝は、ご本尊“阿弥陀如来”の前で、そのお姿を拝見しつつ、念珠とこの度の記念式章を着用し、手を合わせてお参りできたことは、とてもこころに残り良かったと思っています。
ところで、出発前は“参拝のしおり”に宿泊先が、稲田御坊・西念寺と記してあり御坊?どんな所だろうという興味と若干の不安な思いをもっておりました。
稲田の西念寺の御本堂は天井が高く、大屋根が二層式になっており、大きなケヤキ柱作りの立派なご本堂でした。到着後、この本堂で光明寺ご住職(傍示裕昭氏)が「重誓偈」を、翌日のお晨朝は「正信偈」と「ご法話」をなされました。西本願寺でお念仏する際にも感じたことですが、南無阿弥陀仏とお念仏を唱和する美しい皆さんの声が一丸となって静寂な本堂に響き聞こえたときは、誠に妙なるものでした。
また、西念寺御坊には、テレビも無く、自動販売機も置かれてなく、近くにコンビニもありません。手軽に情報が入手できる今日において、いつでも・どこでも・だれでもが頼りとするものから暫し離れて、ゆったりとしたしかも静寂の雰囲気のなかで昔のことを思いだしていました。
約44年前、当時27才の私は異文化をもつ国で、約1年間生活した経験があります。日本で当然あるようなテレビもなく電話もない国でした。1年間の生活は、停電が多くロウソクの下で本を読み、寒い時期には1週間に1回ぐらいのシャワーなど、日本では考えられない不便なことばかりでした。当時、現地の人々に接して思ったことは物質的に恵まれすぎている日本人がある意味で大変貧しいように感じました。人にはゆったりとした気持ちをもつ時間が必要だと、思ったことでした。因みに、その国の言葉に“ビスターレ(ゆっくり、あわてず)”があり、とても気に入った言葉です。
そして、稲田の西念寺の裏門の椿の下を潜り抜け、次の目的地に向かいました。この写真はその時の光明寺ご住職を妻が撮ったものです。お勤めを終えられたご住職は清々しい、とても良いお顔をされています。
まずは、今回の旅で経験したことを踏まえて、以前に少しばかり積ん読していた“歎異抄”を、今回はゆっくり読み返してみたいと思います。
最後に、今回の親鸞聖人巡礼参拝の旅路にご案内、引率を頂きました傍示ご住職、蒲池ご住職に深謝するとともに、いろいろな面でお世話頂きました西鉄旅行添乗員の大家様に感謝致します。 合掌