浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

ジャーナリストの眼力

死刑のハンコ

 国家が人の命を奪う死刑執行に間違いは許されない。死刑制度の肯定派もそうでない人も異論はないだろう。だが、一九八〇年代に相次いだ免田事件や財田川事件など「死刑再審四事件」では、確定死刑囚が間一髪で絞首台から生還した。人間は時に間違いを犯す。この決定に間違いはないのか。死刑執行の最終決済文書にハンコを押す法務大臣には身を切るような覚悟が必要だ。

 その死刑をめぐる発言で葉梨康弘氏が法務大臣を更迭された。同僚議員のパーティで飛び出した葉梨氏の軽口からはハンコを押す重責はみじんも感じられなかった。「法務大臣は朝、死刑のハンコを押し、昼のニュースでトップになるのはそういう時だけという地味な役職」。そう発言したのは一一月九日夜だった。会場から笑い声が漏れたとも伝えられ、自虐ネタのつもりだったのかもしれない。

 岸田文雄首相はとりあえず厳重注意しただけで野党や世論の反応を見極めようとした。結局、二日後に更迭することになったが、私が注目したのはその間、辞任を否定した葉梨氏の発言だった。「死刑執行を話題にすることで制度の是非を含む議論のきっかけにしたかった」。誰もが後付けの言い訳と受け止めたが、本音だったのであれば法相の職にとどまり議論を呼びかけるべきだった。またも死刑制度の是非に踏み込むきっかけを失ってしまったことが残念でならない。

 「人の生命を国が奪う。そんな制度を国が持つ不合理、不条理に対して深い考えをめぐらせず、死刑を笑いをとるための世間話にしてしまった」。民主党政権で法相を務めた千葉景子弁護士は、葉梨氏の更迭を受けてこう語った。 千葉氏が法相に就任した二〇〇九年、裁判員裁判が始まり、一般市民も死刑判断に関わることになった。千葉氏は一貫して死刑廃止の立場だったが、在任中に二人の執行命令書に署名し、初めて大臣自ら執行に立ち会うという異例の姿勢を見せた。さらには東京拘置所の刑場を報道機関に公開した。死刑制度の是非をめぐる国民的議論を喚起するのが目的だったという。

 だが、民主党政権が短命に終わったこともあり議論は全く深まらなかった。葉梨氏の言う「死刑のハンコ」に至る法務省内の流れは今も一切公表されていない。裁判員制度の下、私たち一般市民も死刑判決に関わり、厳しい選択を迫られる可能性がある状況も変わらない。世界的にも死刑廃止が潮流であるにもかかわらず、議論しようともしないのはなぜなのか。

 一九九二年に福岡県飯塚市で女児二人が殺害された「飯塚事件」を今も追いかけている。久間三千年元死刑囚は、死刑判決が確定した二〇〇六年からわずか二年で執行された。法務省によると、刑確定から執行までの平均は五年二カ月。早過ぎる執行を弁護団は「再審つぶし」と今も疑問視する。死刑確定から執行までなぜ二年だったのか。法相を更迭して終わりでは死刑制度の闇は晴れない。