2020.7.15版
【癒着と密着】
TVQ九州放送・報道スポーツ局長
傍示 文昭
この原稿を書くのはなんとも気が重い。それでもジャーナリストであることを誇りとしている以上、避けて通るわけにはいかない。東京高検の黒川弘務検事長と産経新聞の記者二人、朝日新聞の社員(元記者)が緊急事態宣言中に賭け麻雀をしていた問題についてだ。批判は覚悟の上で「言い訳」ではなく「言い分」として書き記したいと思う。
法務省は黒川氏を訓告処分とし、黒川氏は自ら辞職した。朝日新聞社は社員を停職一か月、産経新聞は記者二人を出勤停止四週間の懲戒処分とした。黒川氏の処分の妥当性は置くとして、新聞二社の処分は同業者から見て妥当だと思っている。停職、出勤停止は単なる「自宅謹慎」のように見られがちだが、謹慎は給与と賞与の減額につながる。つまり減給処分もセットになった、極めて重い処分と受け止めている。
しかしながら、ネット世論の大半は「処分も対応も甘すぎる」である。外出自粛を呼びかけていた新聞社の記者が定年延長問題の渦中にいる検察ナンバー二と密会し、違法行為である賭け麻雀を繰り返し、送り迎えのハイヤーまで用意し、「週刊文春」に暴露されるまで検察幹部が賭け麻雀に興じていたこと自体も書かなかった、などなど。その批判は枚挙にいとまがない。処分に際し、新聞二社が三人の実名を公表しなかったことへの批判も強い。
ただ、私はこの三人を断罪することはできない。一連の行為は極めて不適切であり、猛省に値するのは言うまでもないが、黒川氏という時の人に、ここまで食い込んでいる記者がいたことに感服してしまったのも偽らざる心境だ。権力を持つ側が発表する内容を通り一遍に伝えるだけでは記者の仕事は成り立たない。読者にディープな情報も届けられない。私たち記者は相手の懐に飛び込むために、仕事を離れて酒を飲み、麻雀やゴルフもする。それもこれも権力の内側に潜む問題を探り、状況に応じて世に出すためだ。だから時には心が通じた相手を斬ることもある。
記者の心得は「密着すれど癒着せず」である。その線引きは難しく、今回のような行為が「癒着」と批判されるのは当然だが、この件をもって「密着」に腐心する記者の牙を抜いてしまうようなことがあってはならない。
清潔さや潔癖さだけではジャーナリズムは守れない。癒着と密着の違いをあらためてかみしめながら、相手の懐に飛び込む記者を育てるという気概だけは失ってはいけないと思っている。