浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

ジャーナリストの眼力

さだまさし特番(上)

2021.1.1.

【さだまさし特番(上)】

(テレQ)TVQ九州放送

報道スポーツ局長 傍示 文昭

 アフガニスタンで用水路建設や医療活動を続け、二〇十九年十二月四日に現地で武装集団に襲われて亡くなった中村哲医師(当時七三歳)の追悼の会が十一月二十三日、母校の九州大(福岡市)で開かれた。

 一周忌を前に、中村さんと共に活動してきた福岡市の非政府組織「ペシャワール会」が主催し、全国から約四百人が参列。シンガー・ソングライターさだまさしさん(六八)も登壇し、中村さんをたたえて作った楽曲「ひと粒の麦~Moment~」を披露した。

 さださんは、中村さんと直接の面識はない。ただ、お互い俠客の血を引く者として「常に意識してきた存在」だったという。

 中村さんの祖父は、北九州・若松港の石炭荷役請負業「玉井組」を率いた玉井金五郎。金五郎の長男、火野葦平の自伝的小説「花と龍」のモデルとして知られ、中村さんも生前、金五郎の生きざまに大きな影響を受けたと語っている。

 さださんの母方の曽祖父、岡本安太郎も明治時代、長崎港で港湾荷役を取り仕切った「岡本組」の元締。最盛期には沖仲仕五百人を束ね、任俠の大親分として地元で語り継がれている。

 中村さんの行動は「無私の精神」で知られるが、東日本大震災や豪雨などの被災地で支援ライブを続けるさださんの行動理念にも義と情の部分で共通するものがある。

 さださんは一方で、ルーツは似ていても実際の生きざまの違いに落胆したとも言う。

 「玉井金五郎の孫と岡本安太郎のひ孫があまりにも差がありすぎて、正直めげてしまった。のうのうと生きてきたなあと思ってね」。そして、わが身と照らし合わせながらたどり着いた答えが「自分にできることは何か」という原点回帰だったという。

 追悼の会であいさつした中村さんの長女秋子さん(四十)は「父は決して特別な思想、崇高な理念があったわけではなく、当たり前のことを当たり前にという人だった」と話した。さださんにとって「当たり前のことを当たり前に」できることは、中村さんに捧げる歌を作り、歌うことだった。

 かたや私は昨夏、新聞社から放送局に転籍した。放送人として何をなすべきか、半年かけて出した答えの一つがさださんの番組を作ることだった。

 素人プロデューサーのため「当たり前のことを当たり前に」とはいかないが、さださんや中村さんの生きざまに恥ずかしくない作品にしたいと思っている。

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