浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

光明寺だより

【浄土真宗と現代】(2)

前回、洋の東西を問わず宗教の本質は、「その教えに真摯に生きている人」に出遇うことが最も大切なことだと書きましたが、その実、西洋社会では、生活のすみずみに至るところまで人々は、『神とともに』生きていると実感させられたことがあります。

 

それは、生活していく上において大事なお金の中にまで、「IN GOD WE TRUST」と、紙幣やコインを問わず「ドル」であれば、全てのお金に「神が宿っている」ということです。  また、四十数年前に起こった出来事ですが、田中角栄首相時代にアメリカロッキード社からの贈賄事件がありましたが、アメリカ議会の公聴会でロッキード社のコーチャン副社長が証言するときに、『聖書に手をおいて真実を述べる』と誓っていた姿が、いまだにまざまざと瞼に焼き付いています。

 

さらに、2001年9月11日のニューヨーク世界貿易センタービル航空機突入テロ事件のあと、翌年の初盆に、当時ニューヨーク本願寺仏教会に赴任していた大学の同級生「中垣顕實」開教使が、ニューヨーク在住の超宗派のお坊さん達に呼び掛けて、マンハッタンのハドソン川で人種や国籍を超えて、「9.11テロ事件」の全ての犠牲者を追悼する初盆法要の「灯籠流し」を行ったのですが、この事を伝え聞いた当時のアメリカ・ジョージブッシュ大統領から、ワシントンのホワイトハウスに招待を受けたと聞きました。洋の東西を問わず、聖職者に尊崇の念を表すキリスト教社会の「懐の深さ」を、垣間見た思いです。

 

ひるがえって、我が仏教国日本でも、私は、『み仏さまとともに』生きているを実感しています。それは、浄土真宗は特に、行住坐臥、時節の久遠を問わず、いつでもどこでも『お念仏を称えることができる』ことです。在家仏教の素晴らしさです。人生の悲しみのときも喜びのときも常に、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と、阿弥陀さまのおこころをお称えしながら、阿弥陀さまと一緒に歩む人生です。

 

私の祖父はそれこそ1日中、朝起きた時から、夜休む時まで、お念仏が絶えぬ人でした。ご飯を食べているときも、なんまんだぶ。お風呂に入っているときも、なんまんだぶ。トイレに入っているときも、なんまんだぶと、とにかく称名念仏が絶えませんでした。幼い頃、父に、「トイレにも、まんまんちゃんがおってあると?」と、真剣に尋ねた思い出があります。

 

当時は不思議に思っていたことですが、私も齢を重ねて、さまざまな経験を得て来ると気づいてくることがあります。それは、『おかげさまで生かされている』ということです。見えない陰(かげ)に「お」と「さま」まで二重に付けて、私を生かしてくれているすべての「一切衆生」に感謝の念を供えるのです。私の人生を、いついかなる時でも見守って、お浄土へと導いて、支えていただいている阿弥陀さまに、「なんまんだぶ なんまんだぶ」と、阿弥陀さまの、み名を喚(よ)んで、感謝の気持ちをお供えするのです。(続) 合掌