浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

光明寺だより

法話「何をやってもうまくいかない」

何をやってもうまくいかない。

まさか、こんなことになろうとは。

生きていく居場所がない。

コロナ禍になって、ますます聞かれる言葉です。

 

私たちは、この世に生を受ける時、まずオギャーと発声して生まれてきますが、その第一声を「慟哭の叫びだ」と言ったのは英国の作家、シェークスピアです。

お釈迦さまも、「人生は苦である」と、はっきりと仰られています。

 

生まれて、ものごころついた時から、私たちは死ぬまで「葛藤の連続」です。親子の葛藤 家族の葛藤 学校での葛藤 会社での葛藤 社会との葛藤、そして生きる上での葛藤。

ときどき、ふと、安らぐ世界はないものかと苦悩しますが、この世にはありません。無常の世界だからです。

新興宗教に入信する人たちの典型的なパターンとして、「貧困 病気 争い」が言われていますが、こういう事は、誰にでも、いつでも、どこででも起こることです。入信すると、仲間うちで、みんなから「おかえりなさい!」って、あたたかい言葉をかけられて、とても歓待されるそうです。人は、ぬくもりのある世界に誘(いざな)われます。

 

ただ、人の世には、絶対の世界はありません。人の世は、相対の世界です。生きていることそのままに「死」が内包されているように、どの世界にも、何事にも、『表と裏』があります。

 

寒い日にお風呂に入って「極楽、極楽」と、熱い湯に満足している時はいいのですが、

30分も入っていたら、湯舟は地獄に変わります。安らいだと思ったその瞬間に、一時の安らぎが瓦解することもあるのです。

結婚して、愛していると毎日言っていた時もあれば、その愛がいつしか、憎しみに変わることもあります。子どもを授かったと飛び上がって喜んだ時もあれば、のちに、成長した我が子から苦しめられ、場合によっては殺されることもあります。極端な話ですが、人をひとり殺めたら殺人者ですが、千人殺したら英雄だと叫んだ独裁者もいます。

 

人生、何が幸せで、何が不幸せなのか、何が善で、何が悪なのか、よくわかりません。

ただ、歳を重ねてきて、この歳になって、ようやくわかり得たことは、「人生は、何事も自分の思ひ通りにはいかない」ということです。

 

「人生、いつどこで、どうなるかわからない なるようにしかならない」 と、覚悟を持って今日を生きていくことが大切です。