浄土真宗本願寺派 紫雲山 光明寺

光明寺だより

3月19日法話 「経験がないのですから」

「生きるのに、右往左往するのは当たり前です。経験がないのですから」

 コロナ禍の現在、先が見えない不安、恐怖に、時として、「生きる気持ちが萎える」こともあります。こういう時には、先のことをあまり深く考えない、「考えるという思考」は、どうしても気持ちが、内向きになります。場合によっては、「鬱(うつ)」のような状況にまで落ち込んでいきます。先のことを考えても、先のことは先のことでどうなるかわからない。まさに、なるようにしかならないのです。ふさぎ込んでばかりいても、落ち込んでばかりいても、嘆いてばかりいても、状況は悪くなる一方です。悪循環のスパイラルです。

 そうなると、いよいよになってから、切羽詰まってからでは、どうしたら良いかを考える余裕もなくなり、SOSも発信出来なくなります。心がフリーズしてしまってからでは、手遅れになります。とりあえずは、目の前のことに集中することです。

 先のことは先のことです。その時はそのときです、その時になって考えればいいことです。

 例えば、伴侶を亡くしたあと、亡くしたショックで、ずっと家に引きこもっていると気持ちが、次第に落ち込んでいきます。仕事がある人であれば、仕事に行ってくださいと勧めています。四十九日まで引きこもっていては、手遅れになることもあります。やる気が起こらないのはわかりますが、それかといって、ずっと何もしないわけにもいかないのです、のども渇きます、腹も減ります、眠くもなります。とにかく気持ちの切り替えが大事です。でなければ、目の前のことに集中することです。

 「いま、なさねばならぬことに集中する」ことによって気持ちの切り替えが、自然と出来ていきます。私の経験では何でもいいから、「好きなことに没頭する」ことです。例えば、映画が好きであれば、飽きるまで徹底して一日でも二日でも、ずっと見続けてください。寝食を忘れて、集中して見ていればそのうち疲れて、眠くもなるし、お腹も空いてきます。

 私の恩師は、「お寺に参ってきて、お経を聞いて、気持ちよくなって寝ている者がいたら、そのまま寝かせておけ、起こしちゃならぬ」と、おっしゃいました。「ご本堂で、み仏さまのふところに抱かれて、ほっとして安心して眠っているんだ。娑婆の悩みがあるものは、お寺に来ても、気持ちが落ち着かなくて眠れぬ」とも、おっしゃいました。

眠れることは幸せなことです。

 それでも、眠れないくらい悩んでいるのであれば、身体を動かして下さい。掃除でも洗濯でも、家事でもなんでもいいですから、いまの境遇を少しでも変えることによって、気持ちが変わっていきます。気持ちも、その時その時の、気の持ちようでいろいろと変化していきます。

 いまからの時節であれば、日ごと、週ごとに、気温も上がって来て、お花見には絶好の季節になります。親しい方を誘い、誘われて、さくら花を愛でる桜の名所に、青葉を愛でに、新緑の散歩に出かけられると、良い気分転換になります。

 結局、人生は何をしてても、どう生きてても、時が来れば、因縁相和合すれば、死も巡ってきます。

 「まあ、いろいろあったけど、いい人生だったと思って、お浄土に往生するか」、「最後の最後まで右往左往バタバタして、不安なまま人生を終わっていくか」

決めるのは、自分自身です。

合掌

 

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