光明寺のあゆみ・・・1

 明治44年(1911年)、本願寺花畑布教所として設立・認可を受く。(主管は者は、鳥栖明覚寺の菅原苔厳師と初代 傍示鉄男) ここに1647年(正保4年)以来。「お西」不在の地に。260年ぶりに「お西」の拠点が出来た。これが現在の光明寺の出発点であります。

 しかし、何といっても無壇寺院(門徒のない寺院)で、その維持、運営は困難を極めたようで、約10年間は、半ば閉鎖状態にあったと思われます。初代は、この間、布教使として、或いは朝鮮での教誨師として活動していたが、本願寺からの強い要請もあって、大正10年、現在地に定住。同時に、前記 菅原苔厳師を学院長に、「西南仏教学院」を開設。以来、昭和19年、戦争激化のため閉院するまで、数多くの優秀な人員を養成して教団に送り出している。

 戦後間もない昭和22年、「光明寺」という寺号をいただき、正式に本願寺教団の寺院として新しい一歩を踏み出すことになった。そして昭和28年には、久留米を襲った大水害のお見舞いとして、大谷光照御門主(現在の前門様)の御巡回をいただき、光明寺の粗末な座敷に御宿泊いただいた。

昭和28年9月 御門主をお迎えして

 

光明寺のあゆみ・・・

 昭和31年には、納骨堂を建立し、そして、昭和37年には、親鸞聖人七百回御遠忌法要を営み、併せて継職法要を厳修し、第二世 暁了が住職に就任した。

前年の昭和36年の御本山における七百回大遠忌法要では、初代は、本願寺勤式の長老格として、長期間京都に滞在し、神辺良雄師、経谷芳隆師などと共に、引導役、その他、讃衆として法要の重要な役割を果たしている。

 昭和46年、本願寺当局は、本願寺派「お西」空白の地に、生涯をかけて寺院を設立したその労苦を讃えるため、当時としては異例の、存命中の特別褒賞授与という措置を以て、その功績を称えた。そして、翌47年8月2日、初代は、お念仏のうちに、静かにお浄土に還って行きました。

光明寺のあゆみ・・・

昭和50年

 建立以来の本堂大改修に着手。屋根かわらの全面吹き替えと内陣、外陣、天井、壁面、後拝口、座敷などの全面修復を行う。

昭和51年

 春彼岸に落慶法要 御講師に先代住職と御縁の深かった下川弘義師(築地本願寺輪番)

昭和54年

 親鸞聖人の銅像を京都から迎える。

昭和61年

 筆頭総代 平木元次をはじめ、総代・世話人会の発願により門徒会館を建設。

1990(平成2)年10月2日 

 本願寺第24代 大谷光真御門主の御巡教(お立ち寄り)の栄を賜り、全門信徒に「お言葉」を頂戴する。

1998(平成10)年4月

 蓮如上人五百回遠忌 庫裏改築落成 第三代住職継職の大法要を円成。

2000(平成12)年3月

 最新式の納骨壇を完備した納骨堂「寂光廟」が完成

2000(平成12)年11月30日

 第二代住職「暁了」逝去(浄土往生) 享年74歳

 


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